NECROPHILIA
――屍体愛好者――

 

 19世紀末の大女優、サラ・ベルナールはつねに自分の館に棺を置いておき、
自らそこに横たわって死体のふりをするのを好んだ。彼女の命令で使用人や
取りまきたちは嘆き悲しむ演技をし、それによって彼女は非常に満足したという。
 彼女は死体が持つ究極のエロティシズムを悟り、これを体現したかったのだろう。
 死体とは「永遠に受動的な」存在である。
 それはもはや、口ごたえすることもなければ反抗することもなく、我々を幻滅
させるような真似は一切しない。我々の夢想のすべてを受け入れ、反映すべく
それは静かに横たわっているのみである。
 これが「理想のエロス」でなくて何であろう。

 

 


ベラ・レンツィ

 彼女は夫2人と、愛人32人を殺し地下室の棺に「コレクション」していた。
 ベラは早熟な少女で、10代のうちから恋人をとっかえひっかえしては家出し、しかしその度すぐに飽きて帰ってきた。そのうちずっと年上の実業家と恋に落ち結婚したが、息子が生まれて間もなく、夫は姿が見えなくなった。
「あのひとは新しい恋人ができて、外国に行ってしまいました」とベラは周囲に説明した。
 人々の同情を受けながら、しばらくベラはいかにも傷心の様子で家に引きこもっていたが、一年ほど経つとカフェや劇場にも通うようになった。そのうち、外国の夫から死亡通知が届いたと言い、彼女は若い美青年と再婚した。
 が、その青年の四ヵ月後には「旅に出て」しまった。
 彼女の家には入れかわり立ちかわり、愛人が出入りした。そのほとんどは外国人や旅行者だったので、失踪してもさしたる問題にはならなかった。しかし32人目は相手が悪かった。彼は町の名士だったので、捜索願いが出されては警察も無視することができなかったのである。

 ベラの地下室に踏み込んだ警官は、言葉を失った。そこにはずらりと35もの美しい棺が並んでいたからである。しかもそのひとつひとつには、犠牲者の姓名と年齢が丁寧に記されてあった。それはさながら蝶の標本だった。
 棺に書かれた名には旅に出たはずの2人の夫と、加えて彼女自身の実の息子までが発見された。
 彼女は愛人たちを砒素で毒殺したことを認め、
「だってこのひとたちがあたしを抱いた手で、ほかの女を抱くことがあるかもしれないと思うと、たまらなかったんですもの」
 また息子を殺したことについては、
「この子も年ごろになったら、あたしより大事な女の子ができて離れていっちゃうでしょう。想像するだけでそんなの、耐えられませんでしたわ」。
 これだけを聞くと、動機は彼女の独占欲にあったように聞こえるが、「毎晩暗くなると、地下室の肘掛け椅子に腰かけて、死せる愛人たちを眺めまわすのが何より愉しみ」だったというから、やはり目的が「死体の蒐集」にあったことは疑いない。

 


ヴィクトル・アルディッソン

 アルディッソンは精神薄弱で、あきらかに精神病者であった。事件が発覚してからは一生を病院に監禁されて過ごしたが、従順な男で医師の質問に協力的であったため、資料として残っているのである。
 彼は3歳から60歳までの女性の死体を墓から掘り起こしてきたが、中でも13歳の美少女の首がお気に入りで、彼はこれを「フィアンセ」と呼び、十字架や天使の像などと一緒に、祭壇のような場所で大切に保管した。しかし性的な凌辱はいっさい加えず、ただときどき胸に抱いたりして、やさしく愛撫するだけであったという。
 彼はほかにも多くの女性を掘り出しては納屋に飾っていたが、それらは「フィアンセ」にはなり得ず、せいぜい「恋人」くらいの存在であったようだ。しかし帽子やスカーフで飾るなどの〈思いやり〉は見せていたようだ。

 彼は文盲で、国歌すら歌えないような男だった。しかも味覚も嗅覚もほとんどなかったようで、舌の上に塩を乗せても硫酸を乗せてもまったく区別がつかず、腐った肉でも平気で食べた。また、鼻孔に胡椒を詰められても「苦しそうな顔ひとつしなかった」という。痛覚もほとんどなく、手の甲を針で刺されても「まあ、我慢できるな」とぼんやり答えただけだった。これはロンブロオゾの唱えた「生来犯罪者=先祖返り説」を連想させる話だ。(「ネオ・ロンブロジアン」参照)

 彼は女性の死体なら選り好みせず、「どんな女でもよかった」と言っているが、一度だけ拒否した場合があった。その死体は、片足だったのである。女の脚は彼にとって、もっとも魅力ある箇所だったらしい。
 アルディッソンはネクロフィリアであると同時に、脚のフェティシストでもあったのだろう。

 


レジナルド・クリスティ

 クリスティは1940〜1950年代にかけ、ロンドンのノッティングヒルで6人の女性を殺した。
 一番目と二番目の被害者は裏庭に埋められ、つぎの被害者は32年間連れ添った妻で、彼女は床下に埋められた。二番目の犯行から妻殺しまでは約9年の間があいているが、ともあれ、これをきっかけにクリスティは完全に抑制を失ったらしい。つづく半月の間に3人の女性を殺害して食器棚に隠し、それから棚に壁紙を貼ると、彼は家を出て浮浪者になった。

 クリスティの部屋の新しい間借り人は、ぞんざいに張られた壁紙を剥がしてみて仰天した。そこからは、女性の死体がごろごろと転がり出てきたからである。死体はどれも凌辱されており、半裸で、おむつのような白い布を股間にあてがわれていた。
 警察は初期の二人の白骨死体も裏庭から発見した。一体は棚の支えに使われてさえいた。
 また室内で発見された煙草の缶には、4人分の女性の陰毛が「芸術的に配置」され、コレクションされていた。3人分は戸棚の中の死体のものと容易に知れた。だが、もう一束はいったい誰のものなのか?

 ジョン・レジナルド・ハリデイ・クリスティは頭のはげかかった、眼鏡をかけた小男だった。心気症で病弱で陰気、放浪癖もあった。特になにか少しでも問題にぶつかると、逃げ出しては放浪するタイプの人間だった。
 彼は労働者階級の家で、7人兄弟のひとりとして生まれた。厳格な父親をいつも恐れており、いつもびくびくと人の顔色をうかがう神経質な子供に育った。そんな中、彼は「8歳のとき、もっとも重大な人生の目覚めを感じた」とのちに述べる体験をしている。
 それは祖父の死だった。棺に横たわる祖父を見つめながら彼はうっとりし、「初めてと言っていい悦びを感じた」という。
 しかしそれでもなお、彼はまだ正常な少年であった。成績はよかったし、ボーイスカウトの副隊長をつとめたことすらある。だがそんな青春時代のさなか、彼は最悪の体験をすることになる。彼は年上のガールフレンド相手に初体験をいどんだ。しかし結果は無残な失敗に終わった。しかもこのガールフレンドはその無様ぶりを言いふらしてまわったのである。
 翌日から彼の渾名は「やれずのレジー」という屈辱的なものとなった。
 彼はこの一件以来、女の子にはほとんど近づかなくなった。
 21歳で除隊した彼は、おとなしく無口な女を見つけて結婚した。彼女はおよそ夫に口ごたえなどしそうにないタイプだった。そのうえ性生活の不満など、口の端にものぼらせるはずのない女だった。

 クリスティは性的不能者だった。彼が男になれる相手は薬で昏睡しているか、死んでいる女だけだった。生きている女は騒々しくて生意気で、図々しく、平気で人を傷つけた。だから彼は、女を(ときには売春婦を)言葉巧みに連れ込み、ガスを吸引させて眠らせ、レイプしてから殺さなくてはならなかった。それ以外のシチュエーションでの女との接触は、恐ろしすぎた。
 彼が妻とどのような生活をしていたかは、正確にはわかっていない。だが、彼女にとって完全に満足のいくものでなかったことは確かである。だが彼女は慎み深く我慢強かった。だがいつしか、彼女も歳をとって、小言を言いがちな老嬢となった。クリスティにはそれが耐えがたかったのだろう。妻はストッキングで絞殺され、床下行きになった。

 さて残された一束の陰毛の謎だが、これは当初、妻子殺しで処刑されたクリスティの隣人、エヴァンズの妻のものではないかという疑惑がもちあがった。エヴァンズは十歳児なみの低脳で、自供したかと思えば隣人に罪をなすりつけたり、を繰り返していたのである。そしてその名指しされた隣人こそが、クリスティだった。
 しかしエヴァンズの妻の陰毛が切り取られていた形跡はなかった。コリン・ウィルソンはこれを二人の男の共謀殺人ではないかと仮定したが――真相はわからない。

 ただ、クリスティが殺人を犯したのは「自分の意のままになる女」が欲しかったから、である。これは間違いのない事実だ。エヴァンズの妻の死は堕胎手術に失敗した末のものであるというエヴァンズの証言からして、たとえこれがクリスティの犯行だったとしても、芯から望んでのことだったとは考えにくい。
 陰毛のコレクション。奇妙にフェティッシュな股間の白い布。
 クリスティは社会的にはみじめな負け犬だったが、死体愛好者としての特異ぶりでは「一種、群を抜いた存在」であったことは確かな事実であると言えよう。

 


橋本長吉

 これはもともとは、「天国に結ぶ恋」とまで呼ばれた美しい心中事件のはずであった。
 昭和7年、大磯山中で発見された若い男女の死体――のこされていた遺書から、結婚を反対されての心中であることはすぐに知れた。
 男は大学の学生服、女は錦紗の着物。所持品からも相当な家柄のふたりであろうと思われたし、死に顔とはいえ美男美女、それも女性のほうは発見者たちが驚いたほどの美貌であった。
 一応は騒ぎになったものの、心中事件がさしてめずらしくはない土地柄でのことである。ところがここで、意外な怪事件が起こったのである。
 ふたりが仮埋葬された翌朝、墓番が女のほうの墓が掘りかえされているのを発見したのだ。それも死体は長襦袢と肌着こそ身にはつけていたようだが、帯や伊達巻、下穿き(いわゆる現在のショーツ)は、その場に散乱していた。
 すわ猟奇事件か、と世間は沸き立った。警察は消えた令嬢の死体発見に血眼になり、世論はこの話題でもちきりとなった。

 だが死体は簡単に見つかった。大磯海岸に襦袢が落ちているのが発見され、それを見た捜索隊があたり一面掘り返すうち、砂の中から令嬢の全裸死体が発見されたのである。
 さて、犯人は橋本長吉という65歳の老人の墓守であった。
 彼は評判の美少女の死に顔をひとめ見たいと思い、土饅頭を夜中、そっと掘り出したのである。長吉は死体を引きずり出し、襦袢一枚の姿にまでひっぺがすと、その死体を小脇に抱えて海岸近くの倉庫に行った。
 証言によると「そこでお嬢さんの着物を脱がせ、二時間ほど夢中で愛撫いたしましたが、やがて気の毒になり、砂地に埋めて家に帰ってまいりました」。
 新聞は「令嬢は、ゆかしくも明らかに純潔であった」と検死結果を強調した。身分が高かったことと、あらぬ噂をたてられては遺族が不憫だと思ったのだろう。

 ともかく事件は解決したが、事件は一躍センセーションをまきおこした。
 商魂たくましい松竹はこの心中話を「天国に結ぶ恋」のタイトルで映画化し、全国上映した。
 西条八十作詞の主題歌は大流行し、結果、いろいろな意味でこの逸話は昭和史をいろどったのである。

 


ジェラルド・シェイファー

 1972年7月、2人の少女がフロリダ州でヒッチハイクをしていた。やがて一台の車が止まった。運転手の名はジェラルド・シェイファー。保安官代理で、そのとき制服を着ていた。
 彼はこの町にヒッチハイク規制があることを教え、ふたりを叱ったものの警察には連行せず、彼女らの友人のアパートまで送りとどけてあげる、と言った。少女たちは感謝した。シェイファーは礼儀正しく、ほがらかで、その上なにしろ保安官代理なのだ。疑う要素はまったくなかった。
 長い道のりを走りながらおしゃべりするうち、ふいにシェイファーがこう言った。
「そういやあ、島に古いスペインの遺跡があるんだ。見にいこうか」
「ほんと? すてき。見たいわ」
 車は方向転換した。そしてしだいに舗装されていないような細い道路に乗り入れ、雑木林の中を進んでいった。そのときシェイファーの態度が急変した。
「なあ、白人奴隷を欲しがってる男って世の中にどれだけいると思う?」
「え?」
「あんたら2人を売りさばいたら、どれだけの金になるだろうね」
 ふたりは怯えて黙ったが、シェイファーは脅しをやめなかった。身代金を取るのと売っちまうのと、どっちがもうかるかな? いやいっそここに2人とも埋めちまったほうが簡単でいいかもな、など。
 およそ一時間近くにもわたって二人の少女をねちねちといたぶった挙句、シェイファーは車をとめて、ふたりに手錠をかけた。そして両膝をロープで縛り、猿ぐつわをはめた。彼は太い枝ぶりのいい木にロープをひっかけて輪をつくり、ふたりの首にかけた。
「おまえらを買いたいって男と会ってくるから逃げるなよ」
 そう言いのこしてシェイファーは立ち去った。
 だがふたりの少女は死にものぐるいでロープをほどき、手錠をはめたまま高速道路まで走って逃げた。ふたりに逃げられたことを知ると、シェイファーはすぐに上司に電話をかけた。
「ばかなことをしてしまいました。じつは……」
 彼はことの次第を話し、『ヒッチハイクの危険をわからせるため』芝居をうったのだ、と説明した。だがこれは当然誰にも信じてもらえず、彼は警官を免職になった。裁判までは保釈の身だったがその裁判は三ヶ月以上も延期になった。それは大きな間違いだった。

 それから二ヵ月後、新たにふたりの少女が行方不明になった。少女たちの母親はシェイファーを警察で面接して、娘を誘拐したのはたしかにこの男だと証言した。が、シェイファーはかたくなに否認した。
 少女たちの死体は、隣接州の砂浜に埋められていた。手足と頭を切断され、かなり腐敗もすすんではいたものの、歯型などから身元はすぐにわかった。それから、ふたりが12メートルもある大樹の枝から、ロープで首を吊られて死んだのだということも。

 数日後、シェイファーの自宅が捜索された。そこからは約6人分の行方不明者の遺留品――金歯やアクセサリー、下着など――が発見された。
 同時に見つかったものがもうひとつあった。それはシェイファー自作の「小説」だった。そのどれもに、首吊りの描写があった。文章はけっして上手なものではない。だが「その部分」にさしかかると、急に筆は熱をおびた。
 直筆で書かれたものも、タイプで打たれたものもあった。だがそのすべてが「女の首を吊り、そのあと屍姦を愉しむ」というストーリイだった。
 シェイファーが魅力を感じる女とはあきらかに死んだ女、それも「吊るされた女」でなければならなかったのである。
 彼は、二度の終身刑を宣告された。

 


林邦太郎

 1957年、東京都中野区。
 ある夜、少年は近所の銭湯で一緒になった同級生の耳に口を付け、とっておきの秘密を打ち明けるべくこう囁いた。
「さっき僕の背中を流してくれてた人。――僕、あの人に殺されるかもしれない。僕がいなくなったらあの人のせいだからね、だからあの人の顔をよく覚えといて――」
 果たして、それから10日ほど経った朝刊にその少年が誘拐され、身代金を要求されたという記事が載った。この時点では事件はただのありふれた身代金目当ての誘拐事件に思えた。
 ただこの事件が世間の耳目を集めたのは、少年が元プロレスラー、清美川の息子だったということである。彼の父はアメリカでレスリングを学ぶ、と言って出たまま行方不明となっており、母は失踪届けを出し期限が過ぎたため自動的に離婚成立。その後は旅館経営するが失敗して売却――という、厳しい環境で育った少年であった。マスコミの注目も集まり、憶測が飛びかったが、身代金を受け取りに現われるものはなく、その後犯人からの連絡は一切なかったため捜査は行き詰まった。
 この事件が解決をみたのは、捜査の甲斐あってではなく一本の電話によってである。
 その電話は精神科医からのものであった。
 日本棋院7段名人の長男で、2度の精神病院入院歴のある林邦太郎(26歳)の言動が最近おかしいので、家人の許しを得て訪問したところ、部屋の畳いっぱいに血痕が散っており、床下から金魚鉢に入った少年の首が発見された。鑑識の結果を待つまでもなく、頭部が行方不明の少年のものであることは肉眼でもあきらかであった。林はただちに逮捕された。
 逮捕後の聞き込みで、林は近所でも有名な小児愛好者(ペドフィリア)であることが判明した。しかも対象は少年に限られており、道を歩いている男の子をいきなり抱きしめたり、言葉たくみに家に誘っては、いたずらしたりしていたようだ。
 また彼は異常な猫好きで、多いときには20匹、事件直前には12匹の猫を飼っていた。だが被害者の少年を殺すのに先立って、気がたかぶったのかこの猫をすべて殺してしまい、半分ほどは食ってしまったという。(もちろん猫が女・子供の象徴であるというのは有名な話である)
 彼はこの殺害について詳細なノートを残しているが、その第1ページにある言葉は、
「ついに捜し求めていた理想の少年を見つけた。住所・名前を聞いた。必ず連れだそう。必ず……」
 そしてその後、少年は同級生に例の告白をするにあたる。
 だがこのノートによると、少年は男の危険さに充分気がつきつつも、明日また会おうという約束に頷き、彼の家までついて行ったのだ。狙われているという感覚は12歳の少年にとって、切実な身の危険というより、甘美な期待を含んだものだったのだろうか? それとも大人はそんなひどいことはするまい、とどこかでたかをくくっていたのだろうか。
 ともかく、少年は男によって殴り殺された。服を脱ぐのを嫌がった、というただそれだけで。
 林は少年を自室へ運び込み、2日かかって「解体」した。身代金要求の脅迫文を書いたのは、その合間の「ちょっとしたイタズラ」であったらしい。
 同居する両親は気づいていないわけではなかった。息子の病歴・性癖についても充分承知していた。だが「触らぬ神に祟りなし」とばかりに黙殺する日々がつづいていたのである。少年を解体している物音にも、故意に耳をふさいでいたと想定される。
 ノートの最後のページにはこうある。
「金魚鉢に入ったあの子は、見ても見ても見飽きるということがない。ホルマリン漬けになったあの子は、生きてるときよりいっそう可愛い。親父たちがいるから、もったいないけど昼間は床下に隠す。でも隠す前には必ず「さよなら」を言うんだ。でも、別れのたび、つらい……」
 その後林は殺人の興奮からか、あきらかな錯乱状態に陥りふたたび入院させられる。そこで彼は
「子供を殴った。血が出た。ナタで切った。ノコギリで切った。ホルマリン漬け、可愛い可愛い――」
 などとあらぬ方向を見て口走りつづけた。
 担当医師は、これはもしや本当に……と疑い、彼の家を捜索させてもらった。
 すると、彼の部屋の床下から5個の金魚鉢が発見されたのである。鉢には手足、首、胴体がそれぞれ入れられてホルマリンで満たされ、パテで厳重に封がしてあった。瞼を閉じた少年の頭部は、
「まだ夢をみてでもいるかのように」
 安らかであったという。
 林は精神異常により無罪とはならず、懲役10年の刑となった。

 


カール・フォン・コーゼル

 1930年代のフロリダ、キー・ウェスト島。
 この地でレントゲン技師として働くドイツ人医師、フォン・コーゼルは美しい女性患者のエレナに一目で恋をした。当時エレナは人妻だったが、その夫は彼女に肺結核の症状があらわれ悪化するや、何のためらいもなく彼女を捨てた。
 2人は恋に落ち、コーゼルはエレナの治療に全力を尽くしたが、キューバ人以外の男性との結婚を望まないエレナの家族は2人の仲を妨害した。エレナの生まれ育った家はお義理にも裕福とは言えず、コーゼルは爵位まで持つ高い身分の男性だったが、それでも家族たちはコーゼルの血が混じることを快しとはしなかったのである。
 家族は衰弱したエレナを連れて行方をくらまし、やっとコーゼルが彼らを探しあてたそのときには、エレナは手の付けようもないほどの重病になっていた。家族は金がなく、彼女を医者に診せることすらできなくなっていたのだ。
 エレナは彼の手をとり、こう告げた。
「私が死んだら、あなたに遺せるのはこの体だけだわ。病気が重いし、もうあなたとは結婚できない……でも死んだら私の体を預けるから、ずっと面倒をみてね」
 コーゼルはきっとそうすると約束し、彼女の指にダイヤの婚約指輪をはめた。
 エレナが息をひきとったのは、それから間もなくのことである。
 遺体は松やパームツリーに囲まれた豪華な霊廟に安置された。費用はすべてコーゼルが負担したため、墓碑銘の右下には彼自身の名も刻まれた。
 だが葬儀が終わってもなお、コーゼルの想いはエレナから離れることがなかった。エレナの家族は「この家にいると死んだ娘を否応なしに思い出させられるから、売り払って引っ越す」と嘘をついて彼を遠ざけようとしたが、コーゼルは
「いや、それなら僕がこの家を借ります。たとえ買う羽目になってもね」
 と言い張った。1ヶ月5ドルの間借り賃に心が動いた両親は、しぶしぶ彼の主張を受け入れた。かくてコーゼルはエレナが生前寝ていたベッドで、毎晩彼女の残り香に包まれて眠るようになったのだった。
 だがそれだけでは飽き足りず、コーゼルは葬儀屋を買収して霊廟の中へ夜な夜な出入りするようになった。彼はエレナの死体にホルマリンをたっぷり振りかけ、損傷した手足をスポンジで拭いて清めた。そしてオーデコロンをくまなく振ったのち、滅菌した木綿で遺体を幾重にも包んだ。また、死体の損傷や腐敗を抑えるための溶液を調合して恒温槽にそれを満たし、エレナをそこに漬けたまま棺に戻した。
 2年間、コーゼルはその霊廟へ毎夜通った。が、ある夜彼はエレナが
「ここはいや。あなたの家へ私を連れて帰って」
 と懇願する幻をみた。彼は彼女の幻に「きっと連れて帰るよ」と誓い、ついに彼女の死体を霊廟から運びだした。
 彼は婚礼用タキシードに身を包み、棺を毛布でくるみ、荷車に積んだ。運搬中のアクシデントが度重なり、彼のタキシードは泥と、遺体から滴る液体でどろどろになったが、彼は意気揚揚と花嫁を、用意した「新居」へと運びこんだ。
 棺を開けて彼は嘆息した。
「ああ、いとしいエレナ。長いこと放っておいてすまなかった。きみをもっと早く救いに行けなかった私に罰があたらなければいいが。美しい目がこんなにへこんでしまって、ドレスも朽ちて、きみの美貌に似つかわしくないよ」
 コーゼルは彼女の皮膚に傷をつけぬよう、細心の注意を払ってピンセットで朽ちたドレスの残骸を剥がした。また、オーデコロンや香水入りの石鹸、ワインで充分に彼女を洗い、腐り落ちた眼球の代わりに義眼をはめ、鼻に副木をした。
 石膏のデスマスクを作ろうと思い、エレナの髪や目鼻を守るため、油引きした絹で顔を覆ってから、蜜蝋と香膏をかぶせると、なんとその絹が石膏が固まる間に、皮膚にしっかりと貼りついてしまった。しかしそれはまるで第二の皮膚のように美しかったので、コーゼルは「彼女の新たな顔」としてその出来に満足した。
 髪はグリセリンで光沢を取り戻させ、胸の上で組まれていた手は滑車をつかってもとの位置まで伸ばした。内臓の代わりに吸収材を詰め、絹を全身に貼り、完全に滅菌処理をほどこし、ドレスを着せてキルト布団でくるんだ。
 エレナは全身を宝石と絹で飾られ、化粧され、花で包まれて横たえられた。コーゼルはその姿を、
「以前とまったく変わらない、輝くような美しさ」
 だと思った。彼は毎日彼女の髪を花で飾り、オーデコロンと香水をふりかけ、虫よけのため絹と蝋で縮んだ皮膚を補い、そしてその横で毎晩添い寝した。
 そんな生活が7年続いた。
 が、終わりは唐突にやってきた。1940年9月、ついにエレナの遺体が霊廟にないことが発見されたのである。
 エレナの姉、ナナがコーゼルを問い詰めると、彼は自宅へとナナを案内し、
「見てごらん、この美しいエレナを。彼女は今こうして幸せでいるのだから、安心して帰りたまえ」
 と言った。
 ナナは愕然とし、「妹をお墓へ返して」と頼んだが、コーゼルにはなぜ彼女がそんなことを言うのか理解できなかった。
「時が来ればエレナは僕とともにあの霊廟へ戻るよ。だが今はまだその時期じゃない。なぜ今になってエレナのことをそんなに気にする? 彼女の死後9年間、一度だって世話したこともないくせに。ひょっとして彼女の宝石に目がくらんだのか? エレナは天使だったが、あんたはそうじゃない。帰ってくれ」
 ナナは逃げ帰り、保安官に連絡した。コーゼルは死体隠匿罪で逮捕された。
 法務主任はコーゼルを評して「彼はたいへん高い知性を持っているが、恋に狂ったのだ」と言った。
 ナナはエレナの死体を正式に埋葬しなおすことを裁判所に要請した。コーゼルはこれを聞いて激怒し、「あれほどまでに苦労してエレナを作りあげたのに、埋葬されてはまた彼女は朽ちてしまう。彼女は僕のすべてだ。そのすべてを奪うのか」と叫んだ。
 世間は――特に女性一般はコーゼルに対し、好意的だった。男性も彼を酒場で冗談のネタにすることこそあれ、おおむね同情的であり、「ほんとうに愛していたのなら、やむを得ないかもしれない」との意見でほぼ一致していた。
 法廷で、ナナはエレナの死体について「あんな醜悪なものを見たのははじめてでした。髪はまだあって、ガラスの目をはめていて……手足は靴下をかぶせた棒きれみたいでした。あれは怪物でした。あんなおぞましいもの」
 と述べた。だが聴衆は、
「エレナは僕が生涯かけて捜し求めてきた人だった。僕は彼女に出会う前から彼女を求め、彼女の幻を見てきた。彼女の魂は不滅で、いまも僕のそばにいる。僕は彼女の身になにが起ころうと、彼女を愛し、守ると誓ったのだ。彼女を死と腐敗の手に渡すわけにはいかない。僕は彼女に、一生かけて守ると約束した。たとえ命を賭けることになっても」
 という、騎士のごときロマンティックな言葉を支持した。
 もっとも事実は(公表はされなかったものの)それほどロマンティックというわけではなかった。蝋人形さながらのエレナの死体は、乳房と尻に弾力ある素材が詰められて本物そっくりの手ざわりにまでなっており、膣の部分に性交が可能なほどの太さのチューブが付けられていた。チューブの先端には綿が詰まっていて、綿には精液が付着していた。
 ナナは最後までコーゼルを「鬼畜、ひとでなし」と糾弾し続けたが、世論の効果もあって彼は無罪となった。ただし、エレナを彼の手に返すことはさすがにできるものではない。エレナは切断されて50センチ平方の箱に詰められ、コーゼルにふたたび墓を暴かれることのないよう、秘密裏に再埋葬された。
 失意のうちにコーゼルは田舎にひっこみ、家の一角に聖壇を作って、唯一返してもらえたエレナのデスマスクをそこに飾った。彼は田舎でも毎日正装して、死せる花嫁のために飾る花を摘みに出歩いていたそうだ。
 1952年、郵便受けに新聞が溜まっているのを発見した隣人が保安官に連絡した。コーゼルは聖壇の棺の前に倒れて死んでおり、すでに腐乱していたという。

 


死屍を追う蛆虫の群が 音高く這うように
おれは 進んで攻撃し 攀じては襲う。

おお 和らげることのできぬ残酷な獣よ。
おれはその 冷酷さえも愛するし
冷酷だからいよいよおまえが美しい。

――シャルル・ボードレエル『悪の華』より――

 

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