The Terrible Mothers -母原病-

 

 昭和50年代、『母原病』という本がベストセラーとなった。
子供の身体的・精神的な病気の多くが、
母親の普段の態度や躾の仕方によるものだという作品である。
 誕生から6〜7歳ごろまでの子供の生活において、もっとも重要な存在は母親だ。
とある精神科医はこう述べた。
「連続殺人者を育てようと思ったら、頭部に重大な損傷を与えるような
毎日の虐待を行ない、性的に混乱させるよう努め、
パートナーを次々変えるなどの生活の緊張を強い、
愛情や躾などの恩恵をいっさい与えないこと」。

 現実の殺人者たちの母親は、ではどういった人物だったのか。

 


●リチャード・チェイス

 チェイスは中流家庭の息子として生まれた。素直なやさしい子として育つが、12歳のとき、母親が精神分裂病を発症する。彼女は幻覚や妄想を抱くようになり、夫に対し、浮気をしているだの、麻薬をやっているだの、自分を殺そうとしているなどと言って、なじるようになった。
 しかし発病のせいだけでなく、母親の生来の性格も愛情深いものではなかったようだ。チェイスの母親を面接した精神科医は、
「ミセス・チェイスは精神病患者の母親によく見られるタイプで、きわめて攻撃的、人に敵意を抱いており、挑発的」と診断した。両親のいさかいは10年以上つづき、その後2人は離婚し、父親は再婚した。
 10代なかばで、チェイスは精神病発症のきざしを見せはじめる。また、異性とうまく接触できなかったことから、アルコールと麻薬に手を出すようにもなった。
 20歳前後から彼の症状は悪化した。彼は自分の心臓が定期的に鼓動を止める、肺が盗まれた、からだがばらばらに崩れ落ちる、などと周囲に訴えはじめ、ある日ウサギの血を飲んで中毒症状に陥り、そのまま精神病院送りになった。
 チェイスは病院でも小鳥の頭を食いちぎって血をすするなどの奇行をみせたが、1年で母親は彼を無理に退院させてしまう。
 退院後、彼は犬や猫を裂いて血を浴びはじめる。血を飲まなければ、彼は自分の体内の血液がいずれ枯渇してしまうと信じていた。そして対象はどんどん大きくなりはじめる。犬猫から牛へ、そして人間へと。
 彼はひとりの男性を射殺し、1ヵ月後、一家惨殺をはたらいた。家族の母親の腹を裂き、赤ん坊の死体を持ち去った。警察は五日後に彼を割り出し、逮捕したが、捜査員が踏み入った彼の室内は、非常に不潔で、血があちこちに飛びちっていたという。そして3台のミキサーの中には、血と細胞がこびりついていた。
 彼は独房で、抗鬱剤を大量に飲んで自殺した。

 


●デヴィッド・バーコウィッツ

 「サムの息子」の名で有名なバーコウィッツは、私生児として生まれ、生後すぐに里子に出された。幼児期の彼は内気で無口、ややいじめられっ子の傾向はあったが、表立った問題はなかった。養父母は共に愛情深く、勤勉だった。
 問題がひとつあった。バーコウィッツはわずか3歳で、自分が養子であることを知らされた。養父母はこの際私生児であることを明かさず、母親はおまえを生んですぐ死んだのだ、と嘘をついた。バーコウィッツはこのとき「非常な罪の意識を感じた」という。自分のせいで実母は死に、そのせいで実父は自分を憎んでいるに違いないと、彼は信じこんでしまったのである。
 生い立ちを知らせる時期が早すぎたのか、それともそれは本来の歪んだ性格を助長するきっかけに過ぎなかったのか? ともかく、バーコウィッツは次第に反社会的兆候を見せはじめるようになる。彼は放火と動物虐待に手を染めはじめた。養母の飼っていたインコに毎日洗剤を食べさせ、殺したことさえある。
 14歳で養母が死に、彼の孤独癖はますますひどくなる。しかし彼は実母がじつは生きているのでは、と考えることでようやく自身と現実に細い糸をつないでいた。
 彼は養父を詰問し、真実を知った。しばらくバーコウィッツは実母探しに熱中し、日課のようになっていた放火さえ、この時期にはなりをひそめている。
 苦労のすえ、彼はようやく実母を探し出した。バーコウィッツはもちろん、すぐさま彼女を訪ねたが、この再会は失望をしかもたらさなかった。彼は逮捕後、精神科医にこう告げている。
「今になってもママには反感を感じている。あの女を完全に許すことなんか、できやしない」
 この再会の直後から、彼はふたたび放火をはじめている。また、幻聴がはじまった。この頃から彼の生活は崩壊の一途をたどる。仕事は辞めたし、食事は冷凍食品とソーダのみ、部屋はゴミだらけで、カーテンもなく、窓にはネズミ色の毛布が釘で止めてあるだけだった。
 幻聴はますますひどくなり、彼を「殺せ」「殺せ」「殺せ」と日夜さいなんだ。彼はその声にしたがうことを決心した。彼は44口径の銃をたずさえ、徘徊をはじめる。
 一年余のうち、彼の犠牲者は、死者が6人、1人が失明、1人が全身麻痺、7人が重軽傷を負わされている。
 バーコウィッツは「サムの息子」と署名した支離滅裂な犯行文を警察に送りつけた。このサムとは、近所に住むサム・カーという男からとったもので、彼の飼い犬をバーコウィッツは悪魔の犬だと信じこんでいた。
 彼の挙措のすべてはあきらかに狂気を示していたが、正常と判断され、365年の刑を受けた。

 


●エドマンド・エミール・ケンパー

 ケンパーは並外れた体格の持ち主だった。身長206センチ、体重127キロ。だがそれはホルモンや染色体の異常によるものではなく、純粋に遺伝的なものであったから、その体躯は均整がとれていた。彼の父親は203センチ、母親は183センチあった。 しかもIQはかなりの高数値。身体的にも知的にもかなり恵まれていたはずの彼は、しかし人生の早い段階で情緒障害と社会病質性を見せはじめている。
 彼の母親は支配的で毒舌、知能は高く、口が勝っていた。彼女に容赦なくなじられつづけた父親は、ケンパーが7歳のとき家を出ている。
 母親はケンパーを厳しく育てた。彼女は「甘やかすとホモセクシュアルになる」という持論を持っていたようだ。おまけに子供の頃から大柄だったケンパーが、姉たちに性的な興味を持つことを恐れた彼女は、息子を子供部屋からひき離し、地下室に閉じ込めた。怖い夢をみるからニ階に戻して、とケンパーは懇願したが、聞き入れられなかった。
 彼はこの地下室で、セックスと死の妄想をふくらませた。彼はある女性教師に恋をし、「先生にキスしたい」と姉に打ち明けた。「すればいいじゃない」「だったら、先生を殺さなきゃならない」。彼の中ではすでに性と愛と死は等価値のものだった。
 ケンパーは13歳で家出し、父を訪ねるがすげなく送り返される。何度かそんなことがあったのち、彼は祖父母の家に預けられてしまう。両親は彼を見捨てたのだった。
 だが祖母は母親以上に口やかましく、愛情薄かった。ケンパーは22口径のライフルで、ある日祖母を撃ち殺した。そして「おばあちゃんの死体を見せたくなかったから」という理由で、愛していたはずの祖父も射殺した。ケンパーは母親に電話し、暴発事故だと言ったが、彼女は信じなかった。ケンパーは逮捕され、精神疾患を認められて病院へ送られた。ケンパーは15歳、すでに身長は190センチを越えていた。
 ケンパーは知能が高く、自己分析が深く、有能で冷静そのものだった。医師たちは彼が充分に社会復帰できると信じた、が、母親のもとに帰すべきではないということもよく承知していた。だが仮釈放委員会はケンパーを母親の保護下に置いてしまう。これはとりかえしのつかない、重大な間違いであった。


(以下、事件の詳細については「MONSTERS」に記します)

 


エドワード・ゲイン

 ゲインの母、オーガスタは勤勉で敬虔なルター派の大家族に生まれた。彼女の父親は狂信的な人物で、厳しい躾に加え、躊躇無く体罰をおこなった。オーガスタは世の中のはなはだしい悪徳に怒りを燃やしつづけた。彼女にとって人生とは、終わりなき重労働と、徹底した禁欲であった。
 オーガスタは父親そっくりの娘に育った。仮借なく厳格で、独善的で、支配的で、融通がきかず、一度たりとも自分の正しさを疑うことがなく、それを他人に押し付けることの是非も、疑うことがなかった。
 夫のジョージと結婚後、ただちにオーガスタは家庭内暴君の役目を引き受ける。彼女は人前でも彼を平気で嘲笑い、怠け者とののしった。家の中では彼に命令を下すか、彼の無能をこきおろすか以外に口をきいたことはなく、そうでないときは、家には不愉快な沈黙が満ちていた。酒が入っているときは、ジョージはオーガスタの言葉の鞭に耐えられず、手をあげることもあった。オーガスタは床に崩れ落ち、怒鳴りながら泣き叫び、そのあとは正座して狂ったように夫の死を祈った。
 オーガスタは慰めが欲しい一心で、夫をベッドに入れることを許した。だが彼女は性行為を心の底から嫌悪していた。たとえ結婚という契約で清められてはいても、それは唾棄すべきことだった。だが彼女はこれを出産のための義務として、耐えた。
 彼女はふたりの息子をさずかった。
 ゲイン家は農場をかまえ、腰を落ち着けた。人里離れていたことがさらにオーガスタを満足させた。彼女にとって、もはや外界のすべてが堕落したものであった。だがさすがに子供たちを隔絶させたまま育てることはできず、学校にはやらなけらればならなかった。だがオーガスタは子供たちに友達を作るのを禁止することで、それを乗り越えた。
 2人の息子に向かって、オーガスタは繰り返し「そと」の悪徳ぶりを説教した。特に、短いスカートをはき、口紅を塗った女どもはその筆頭であり、そんな汚らわしいものを彼女の息子たちに近づけるわけにはいかなかった。
 彼女は毎日聖書を読み聞かせたあと、息子たちの手をとって、「決して女たちに汚させたりしない」ことを母の名にかけて誓わせた。自分の性器に向かって唾を吐きかけるよう強要したことさえあったという。そして彼女を崇拝する息子(特に次男)はおとなしくそれに従った。
 エド・ゲインが10代のときすでに、ゲイン農場は狂気の培養にはうってつけの場所となっていた。
 しかし母の死後、ゲインは「おとなしい、無害な男」として周囲に一応は、受け入れられて生きることとなる。51歳の秋が来るまでは。


(以下、事件の詳細については「MONSTERS」に記します)

 


 

●大久保清

 過保護によって正当な躾をしないこともまた、一種の虐待と考えられている。
 大久保は母親に溺愛されて育った。逮捕時彼は36歳になっていたが、そのときですら母親に「ボクちゃん」と呼ばれている。大久保は結婚して子供もいたが、彼の母親は孫にはさしたる関心は持たず、息子のみに愛情を注ぎつづけたようだ。
 母方の祖母は、女ながらに賭博と傷害の前科があった。その弟は若い頃から窃盗、強盗、殺人を重ね、ついに獄死している。母方祖父は賭博の前科があり、母の異父弟の子供の一人は傷害事件を重ねている。
 父方には犯罪者はいないが、父親は非常に女癖が悪く、大久保の妻にまで手を出していた疑いがある。
 犯罪素因のある母親に溺愛され道徳観念が育たず、また女にだらしない父親の姿を見ていた彼は、性的発達の段階でも混乱を起こしている。彼がはじめて問題を見せたのは小学校6年生のときで、近所の女の子にいたずらしようとしたからだった。
 彼が殺人を犯すまでの前科は窃盗が1犯、恐喝が1犯、強姦が3犯である(他に示談が2件)。
 そして3度目の出所後、彼は活動をはじめる。甘い両親にねだって買ってもらった最新型の車に乗り、ベレー帽にルバシカといういでたちで、「詩人」を名乗り、道行く女たちにかたっぱしから声をかけてまわったのだ。わずか41日間で、彼に性的被害を受けたのは30数人、そして殺人の被害者は8人にものぼる。
 求刑通り、彼は死刑になった。

(以下、事件の詳細については「昭和残酷史」に記します)


★以下、エピソードとして簡単に……。

 

  • ボビー・ジョー・ロング

     彼は思春期の頃、母親にそそのかされて彼女のボーイフレンドと「あたかも彼女をめぐって対立するかのように」険悪な仲にされ、自衛のため相手を叩きのめさなければならなかった。
     また、母親が自分の面倒をまったくみないくせに愛犬のことばかり可愛がることに腹をたて、犬の性器に22口径の弾丸を押し込んだ。
    「犬にはシチューやステーキをつくってやってたのに、俺にはそんなそぶりさえ見せなかった。俺はそれを横目に、自分で食事をこしらえなきゃならなかった」。

     

  • アーサー・ショウクロス

     彼が10歳になる以前に、彼の両親の間には決定的な亀裂が生じていた。彼は両親にとって、「自分を家庭につなぎとめる厄介者」でしかなかった。そしてそれを2人とも、露骨に態度にあらわした。
     ある日少年ショウクロスは、精神異常者とおぼしき男にトラックに乗せられ、レイプされた。彼は傷つき、出血した体をひきずって家まで帰った。ぼろぼろになった息子の姿を見ても母親は眉ひとつ動かさなかった。
     少年は言った。「ママ、ぼく、ひどいことされたんだ」
     すると母親はこう答えた。
    「そうね。おまえを見たら誰だってムカつくだろうからね」。
     彼女は振り向きもしなかった。

     

  • チャールズ・マンソン

     マンソンの母親はまだ赤ん坊の彼を膝に抱いたまま、ある安酒場でビールをちびちびやっていた。もう一銭もなかった彼女は、「まあかわいい赤ちゃん」と言って近づいてきたウエイトレスに、
    「ビールを一杯おごってくれたら、この子をあげる」と言った。
     取引は成立し、母親はビールを飲み干すと手ぶらで帰った。数日後、いなくなった甥を探していた彼女の兄は、ウエイトレスの自宅でチャールズを発見した。


    HOME