CANNIBALISM

 

 カンニバリズム/カニバリズム【cannibalism】人肉を食うこと。またはその風習。
                           人肉嗜食。(広辞苑、第四版より――)

 


 

◆アルバート・フィッシュ

 1928年、当時58歳だったフィッシュは偽名で求職広告に応じ、バッド家に姿を現した。
 上品な物腰、穏やかな微笑み、澄んだ瞳。彼は童話に出てくる「優しいグラン・パ」そのものだった。
 彼はバッド家の長男を破格の待遇で雇い入れることを約束し、10歳になる娘のグレースを、「お茶会に招待したいから」と言って連れ出した。家族は安心しきって2人を見送った。だがグレースはそれきり、2度と帰ってはこなかった。
 6年後、1通の手紙がバッド家に届いた。手紙には中国には人肉食がある、ということがまず支離滅裂な文章で、しかも図解入りで綴られていた。家族がなおも読みすすむと、こんな文章に行き当たった。
「お宅のグレース嬢の肉は柔らかく甘く、オーブンでとろとろと焼き上げると最高の味がすることをご存知でしたでしょうか。お嬢さんは9日間かかってわたしのおなかの中に消えたのです」
「なお、ご安心下さい。わたしは決してお嬢さんを犯しませんでした。彼女は純潔のまま召されたのです。……」
 バッド夫人は悲鳴をあげ、そのまま卒倒した。
 フィッシュはその封筒から足が付き、ただちに逮捕された。自供によると、フィッシュはグレースを殺し、解体し、食ったあとも、鼻と耳だけは古新聞に包んで身に付け、持ち歩いていた。列車の中などで、それを尻に敷き、快感を得ていたのだという。
 フィッシュは完全に狂気であったが、心神耗弱の訴えは却下され、高齢にも関わらず電気椅子にかけられた。

(詳細については「MONSTERS」参照)

 


◆ヨアヒム・クロル

 1959〜1976年にかけて、西ドイツには「子供を殺して、尻と腿の肉を切りとってゆく」殺人鬼が横行した。警察はこれを「ルールのハンター」と呼び、膨大な捜査員を投入した。
 そのうち、こんな情報が寄せられた。
 あるアパートのトイレの管理を受け持っている男が、住人に「最上階のトイレは詰まってるから使わないほうがいい」と言ったという。
「なにが詰まってるんだ?」男は答えた。「はらわた」。
 鉛管工が検査に入った。男の言ったことは嘘ではなかった。そこにぎちぎちに詰まっていたのは、子供の内臓だった。
 男の名は、ヨアヒム・クロル。警察はクロルの家宅捜査に踏み切り、そこで小分けにされ、冷蔵庫に保管された人肉を発見した。鍋には、ニンジンやジャガイモと一緒に、子供の手首が煮えていた。
 クロルは他にも強姦殺人を犯していたが、それらは人肉食とは関係がなく、また同一犯とも見られてはいなかった。精神薄弱者であった彼は、純粋に「食費が浮くから」という理由で子供を襲って食っていたのである。

 


◆ビーン一族

 スコットランドの山賊、ソーニー・ビーンは、妻と共に洞穴に住みついた。
 2人は25年間外界に出ず、子供を生み、さらに近親相姦によって孫、曾孫を産んで、最終的には50人近い大家族となった。
 彼らは追いはぎを商売とし、塩漬けにした死体の肉を常食としていた。家族は多かったが、食料はあり余るほどあったので、彼らはそれの残りを平気で海に投げ捨てた。腕や脚が流れ着いた地方では、大騒ぎとなった。
 ビーン一族は最終的には発見され、処刑された。男は手足を切断され、出血で死ぬまで放置された。女子供はそれを見物させられたあと、火あぶりにされた。
 ビーン一族の処刑後、その地方の人口は「目だって増えはじめた」という。

 


◆佐川一政

 佐川一政は誇張でもなんでもなく、「掌に乗るような」未熟児としてこの世に生まれ落ちた。
 成人後ですら彼は身長150センチ未満、体重は35キロという体躯であった。
 彼が脅迫観念的に抱いていた「大柄な白人美女への憧れ」がこの体格からくるコンプレックスである、という説を彼自身は強固に否定している。が、自ら認めることが可能なレベルの劣等感だったら、そもそも殺人など犯すまい。(現に佐川はのちに、ジェフリー・ダーマーに対するコメントで「僕がダーマーほどハンサムだったら、殺人なんかしなかったと思いますけどね」と言っている)
 かけた手錠が、難なくすっぽり抜けてしまうような体躯。彼は20歳まで生きないだろうと医師に言われながら育ち、裕福だった彼の両親は彼を甘やかし気味に、しかし多大な期待をかけながら育てた。彼は「ひとかどの文学者」になる夢を託され、パリへと留学する。
 内気で礼儀正しく、おとなしい佐川の内部では、豊満な白人女性に対する複雑なコンプレックスをはらんだ強迫観念と、単純な性欲とがひしめきあっていた。
 そんな中、彼に親切にしてくれるルネ・ハルテベルトという、同じ留学生のオランダ女性と出会う。
 ――当時のマスコミは、ルネが彼の「愛の告白」をはねつけたがために殺しその肉を食ったのだという論旨で報道した。
 だがいろいろなことを差し引いても、どうやら佐川には「食べたい」という欲求のほうが先にあったようだ。それは未発達な肉体の欲求が、裏腹に並以上の知能と教養を兼ね備えていたはずの精神をいつしか凌駕してしまったということなのだろうか?
 それはともかく、佐川はルネを射殺し、解体する。
 傍にヌード雑誌を置いて「今食べているのは尻。これは太腿……」と確認しながら味わったという。主に彼はセクシャルな部分を重点的に食べた。(乳房は脂肪ばかりで美味しくなかった、と彼は著作で書いている)
 彼はルネを食いながら「うまいぞ! 白人娘はやっぱりうまいぞ!」と叫んだ。
 生首を持って手にぶらさげた自分の姿を、鏡に映したりもした。「カニバルだ!」と叫びたかった、と彼は言っている。
 彼はルネの死体の残りをトランクに詰め、ブローニュの森に捨てようとした。それがもとで事件は発覚し、この事件は一大センセーションとなる。
 なお本人の言によれば、佐川はルネになんらの恋愛感情は持っていなかったということである。
 だが新聞を読んで、ルネが両親に「とても素晴らしい友人に出会えました。いつか彼をみんなに紹介したいと思います」という手紙を書いていたのを知り、激しいショックを受け、その瞬間、はじめて彼女に「恋心を抱いた」という。
 彼はアンリ・コラン病院に14ヶ月拘束されたのち、日本に強制送還された。
 佐川は今、「しょうことなしに」マスコミの片隅に生きて、凶悪犯罪が起こったときなどに、ほんのわずか我々の前に顔を見せてくれる。

(詳細は「サイコ殺人」を参照)

 


 

天野秋子

 昭和20年、群馬県のある村で起こった事件である。
 天野朝吉と、妻の秋子は再婚同士であった。誰がめあわせたのかは不明であるが、2人共に精神薄弱だった。
 しかも夫の朝吉は怠惰で、家族はいつでも飢えていた。しかし秋子には内職をする知能もなく、いつもなすすべもなくぼんやり家の真ん中に座りこんでいるだけであった。
 子供は4人いたがそのうち3人は秋子の連れ子で、一番年長のトラが朝吉の連れ子だった。トラもまた、精薄である。
 いかに戦時中とはいえ、その頃の山村は都会とは違い、食料にこと欠くようなことはなかったはずだ。ただしそれは、朝吉がまともに働けば、の話である。
 一家は食事のほとんどを近隣の「ほどこし物」に頼って生きていた。しかし、あげてもあげても無計画に食いつくし、またすぐ悪びれもせずに食べものをせびりに来る天野一家は、じきに周囲にももて余されるようになった。

 事件の起きる前日、秋子は近所の主婦に「これっきりだよ」と言われながら、わずかばかりの大根をもらった。
 秋になって、終戦からようやく人々が立ち直りかけたころ、巡査が戸籍調べに村をまわりはじめた。
 空襲や移動などで、行方不明の人間が多かったからである。
 巡査が天野家にたどりつくと、子供が3人しか見当たらなかった。
「トラはどこへ行った?」と巡査が訊くと、秋子はぼんやりした顔で「空襲で死にました」と答えた。
 この夫婦にもとより死亡届など出せるはずもない。代わって届を出してやろうかと巡査が詳しいことを尋ねると、夫婦は同じことを繰り返すばかりだった。
 しかし巡査はそのとき、ある予感めいたものを感じた。
 いろいろ問いつめてみると秋子は「じつはトラは病気で死んだんだけれど、お金がなくて葬式も出せないから、庭に埋めた」というようなことを答えた。
 巡査はそれを署に知らせ、警部補がやって来た。
 警部補が秋子を取り調べてみたところ、あちこちに綻びが出てきた。どうやら彼女が継子のトラを疎んじていたらしいことも、迂遠ながらわかってきた。
 ころやよし、とみた警部補はいきなり秋子を怒鳴りつけた。
「おい秋子、おまえ嘘をついてるな。トラはどうして殺したんだ!」
 秋子はびくりとし、しばらく困ったように下を向いていたが、やがてこう言った。
「食っちゃった」
「食ったって、なにをだ」
「トラを食っちゃった」
 秋子は飢えの中、しきりと食べ物をせがむトラがむらむらと憎くなったのだと言う。
 それでなくともトラは人一倍よく食べたし、知能が低いだけに家族への遠慮もなかった。朝吉もそうだが、トラも目の前にあるものなら1人で食ってしまう。
 秋子は暴れるトラを戸棚に押し付けて絞め殺し、継子の肉で肉鍋を煮た。その鍋は、4〜5日ほど続き、一家の腹を満たした。
 当時の弁護士の言葉はこう残っている。

「あの事件は珍しいから現場まで行ってみたんです。わたしが小屋に入ったときはまだ鍋がそのまま置いてありました。そのときに見たのは、曲がった膝がまるごと鍋に突っ込んであるんです。しかも煮えた手足は垢まみれでした。犯人の秋子は悪びれた様子もなく、いつもヘラヘラうす笑いしていたように思います」

 朝吉は娘が「殺されて食われた」と聞いても、別段悲しい顔ひとつしなかったという。
 秋子は心神喪失を認められず、懲役15年の刑となった。

 



◆ジョン・ヘイ

 ヘイが逮捕されたきっかけは、ディーコン夫人の失踪によるものであった。ヘイは証言のあやふやさ、前科などから怪しまれ、ただちに逮捕されたが、こううそぶいた。
「あいつはこの世から完全に消滅した。死体がなきゃ、立証はできないだろ?」
 ヘイは他にも、少なくとも5人の男女を殺し、それぞれ濃硫酸の浴槽で死体を溶かして片付けていた。彼は犠牲者の血を浴び、飲んだことを誇らしげに報告した。
 だが、犠牲者が「跡形も無く」消えたというのは彼の思い違いだった。
 警察は彼自慢の硫酸樽より捨てられた溶けかすから、人間の脂肪28ポンド、骨のかけら、胆石、入れ歯などを発見した。
 ヘイはその後も独房で自分の尿を飲んだりしていたようだが、精神病の申し立ては詐病とされた。
 だがそれでも、彼は今も「ロンドンの吸血鬼、ヘイ」の名で知られている。……実際には血液は催吐性があるため、ヘイの述べたような「コップに数杯」という飲み方をすれば、たちまち胃の中身をそっくりぶちまける羽目になるはずなのだが。
 ――伝説、というのはこういうものなのかもしれない。

 

 (詳細は『THE BLOOD SUCKER』参照)


 

野口男三郎

 明治35年のことである。おつかいに行った少年が、死体となって発見された。
 少年は尻の肉を切り取られ、両目を抉られていた。
 犯人は、野口男三郎という男だった。彼は当時の漢詩壇の鬼才、野口寧斎の妹、ソエと恋仲であった。寧斎は当時から病に苦しんでいたが、やがて病状は悪化し、寝起きすらままならないようになった。男三郎は次第に彼の病気に疑惑を持ちはじめるようになる。
 寧斎はレプラ(ハンセン氏病)であった。毛髪が抜け、皮膚や粘膜が侵されて崩れおち、異様な外貌となるレプラは、当時偏見の的であった。
 感染力の低さや、けして不治の病などではないことが広く知られるようになったのは、ずっとのちのことである。
 当時、業病には人肉が効く、という俗説があった。
 男三郎は少年を殺して肉をえぐり、煮詰めてスープを作った。それから鶏のスープと半々の割合で混ぜて、寧斎に飲ませた。また、予防のためかソエにも飲ませた。男三郎によれば「効果はあったようで、少し病の進行は止んだ」そうだ。
 だがのちに男三郎は寧斎と仲たがいし、彼をも絞め殺している。
 彼はすべてを自供したが、無罪になった。
 証拠不十分のゆえ、だそうである。

 


ジョン・ウェーバー

 1986年11月12日、カーラ・レンツィという17歳の美少女が姿を消した。
 それから22ヵ月後、カーラの義兄であるジョン・ウェーバーが警察に電話通報をしてきた。妻が2人の男に車で誘拐され、レイプされた上、ひどい暴行を受けたというのである。
 たしかに数時間前、ウェーバー夫人は変わり果てた姿で帰宅していた。顔はフットボールのように腫れあがり、目はふさがり、体にはナイフの刺し傷すらあった。
 しかし夫人の証言はまったく違っていた。
 彼は妻を「いい売り家を見つけたから一緒に行こう」と誘い出し、舗装されていない細い道をひた走った。それから彼女に高額の小切手にサインさせた。
 そしてウェーバーは妻を林に引きずりこむと縛りあげ、暴力的にレイプした。そのうえシャベルで2〜30回頭と顔を殴った。
 殴りながらウェーバーは、
「てめえも、カーラをやったように消してやる」と叫んでいた。
 だが結局ウェーバーは、妻の縄をほどくと、僕はどうかしていたんだ、許してくれと涙ながらに詫びた。そして妻を連れ帰ってきたのである。

 警察はウェーバーの車を捜索し、大型の狩猟用ナイフと、夫人の破れた下着、それと強制的にサインさせられた手紙と小切手、テープレコーダーを発見した。そこに録音されていた内容は警察を唸らせるには充分だった。 
 ウェーバーは単調な声でぼそぼそと、まずは自分たちの夫婦仲から話しはじめ、次第に義妹のカレンに欲望を抱きはじめたことを告白していく。
 つづいて供述は、カレンを人気のないところまで誘い出し、レイプしたことに到達した。
 彼は義妹の体毛を束にして引き抜いたり、煙草で肌を焼いたりして虐待した。
「やめたかった。でもできなかった」
 ウェーバーはぼんやりした声でそう言った。
「やめて家に帰りたかった。でももうひとりの自分みたいなものがいて、それがオレをやめさせてくれなかった」。
 ウェーバーは17歳の少女に、手押し車のハンドルを挿入してレイプした。次には2本のビール瓶を突っ込むと、「すっかり見えなくなるまで」、乱暴にカーラの体内に蹴り入れた。
 また、片方の乳房を根元から、胸板から切り取り、それをカーラの目の前に突きつけた。
 カーラは痛みと恐怖とで終始泣き叫んでいた。最後にウェーバーはカーラを絞め殺した。
 5日間、ウェーバーはカーラの死体を車のトランクに入れたままにしていた。
 「そのうち、いいアイデアが浮かんだんだ」
 と、レコーダーの声は言った。
 彼はカーラのふくらはぎと乳房を切り取り、ミートパイを作って食べた。
「人の肉はね、それほど悪い味じゃない。いやほんとに、けっこう美味かったよ」。
 ウェーバーは終身刑を宣告された。
 仮釈放の見込みは今のところ、ない。

 


アントワン・ラングレ

 19世紀の話である。ラングレはパリのスラムの極貧の中、生まれ育った。残飯を漁る以外に食料を手に入れる手立てはなかったので、それを「美味い」と感じる人間に成長した。ある意味、環境に適応した強い種であったと言えるだろう。
 腐りかけの残飯ばかり食って育った彼は、肉も腐りかけのものを好んだ。幼い頃はゴミ箱に放り込まれた犬猫の死体が一番のご馳走だったというから、その生活のひどさが想像できる。
 長ずるに従って、彼が「墓荒らし」となったのはまったく必然のことだと言えるだろう。
 彼は葬式があるたび、数日後その墓を掘りおこし、死体の腹を裂いて、内臓をとり出した。(彼は内臓をもっとも好んだらしい)
 食事はたいてい「現地で済ませ」たが、お土産に、ポケットいっぱいの肉片を持って帰ることも忘れなかった。
 ただ、どの犯罪者もそうであるように、彼もまた馴れからくる傲慢さゆえに逮捕されることになった。死体を家に持ち帰るようになったのである。
 彼は逮捕後、なぜ人々がこんなに自分の嗜癖に驚くのかわけがわからない、と言い、
「好きに選べるんなら、子供の柔らかい肉が一番いい」と認めた。
 しかし彼は、人殺しだけは絶対したことがない、と請け合った。俺はただ、食っただけだ、と。

 


アレクサンダー・ピアス

 これもまた19世紀の話だ。ピアスは囚人で、5人の仲間とともに脱獄をはかり、盗んだ小船に乗って流刑地の島から脱走した。
 しかし彼らはじきにひどく空腹になり、仲間を殺して食いあった。その生き残りがピアスである。だが彼は追っ手によって捕らえられ、また監獄送りになった。
 1年後、ふたたび彼は脱走した。今度は仲間はひとりだけだった。しかしもう彼は以前の彼ではなく、「すでに、味をしめてしまった男」だった。
 数日後、魚か鶏のように解体されたその「仲間」の死体が発見された。
 ピアスが捕らえられたとき、彼はまだ脱獄したときに盗んだはずの肉と魚をまだ手つかずで持っていた。つまり彼は「仲間の肉」ばかりについつい手がいってしまったらしいのである。
 彼は看守に対し、「人肉のほうが好きだ」ということをあっさり認めた。

 


ディーン・ベイカー

 1970年、男の惨殺死体がモンタナ州の河からひきあげられた。
 男は最低でも30回は刺され、解体されていた。それはもはや死体というよりトルソーでしかなく、頭部と手足が切断され、しかも胸を裂かれて心臓を取りだされていた。
 警察では、カルト宗教がらみの殺人を疑った。
 しかし数日後、不審なヒッチハイカーを巡査が職務質問したことから、事件は意外な様相をみせた。その男のポケットからは短い骨が出てきた。
「これはなんだ?」
「ああ、……鶏の骨みたいに見えるよな。でも人間のだよ」
 彼は少しはにかむようにして、こう言った。
「俺は半端者でね。……どうしようもない。人食いなんだ」。
 連行される最中、ベイカーはパトカーの中で「17歳のとき、ノイローゼを治すための電気ショック療法を受けて以来、人食いになっちゃったんだ」と語った。
 殺された男はたまたまキャンプに行く途中ベイカーを拾い、キャンプ地まで連れていった。そしてベイカーは彼がすっかり眠ってしまったのち、撃ち殺し、切り刻んだのである。
「心臓はどうしたんだ?」
「食べたよ、なまで」
 指を切断して持っていたのは、「なにかしゃぶるものが欲しかったから」だという。
 ベイカーはあきらかに狂気であったので、州立病院送りとなった。一生退院の見込みはないだろう――ないはず、である。

 


◆アルミン・マイヴェス

 2001年、ドイツ。
 マイヴェスは、結婚に三度失敗した母親と長らく二人きりで育った。
 彼の母親は神経症気味で男性を憎悪しており、支配的で自己中心的という、「犯罪者の母親像」としてはまさにステロタイプな女だった。
 そしてマイヴェスもまた典型的な抑圧されたタイプで、母親を憎みながらも激しく愛し、表面的にはほとんど言いなりであったという。彼は子供の頃から家事のいっさいを引き受け、母親の命じるままに友達は作らず、長じてからも給与のほとんど全額を母親に渡していた。
 そんなマイヴェスは当然のように残虐な性的妄想にふけるようになり、同性愛者になった。彼の妄想はカニバル幻想が主だった。
 彼が37歳の時、母親が死去。
 マイヴェスは自由となったが、それは同時に彼の妄想の抑止力をも失ったことを意味していた。彼の性的ファンタジーであるところのカニバル幻想は急速に膨れ上がり、そしてインターネットという場に捌け口を求めることになる。
 ネット上に彼は「食べられたいと願う若い男性、連絡を乞う」という広告を何十回も出し、応募者と「解体、食人プレイ」を楽しんだ。
 マイヴェスは「同意の上でしか、食べたくなかった」のだという。なので殺されることを拒否した者はあっさり解放された。

 2001年2月、ついにマイヴェスは「生きたまま人間を食べたいという方に、私を提供する」という広告を見つけた。
 相手はブランデスという43歳の申し分ないエリートだったが、幼い頃から「ペニスを切られたい」「食べられたい」という願望を持っていたという。
 3月、ブランデスはマイヴェスの館を訪れた。
 ふたりは全裸でコーヒーを飲んだのち、ブランデスの要望通り「生きたままペニスを切断」する作業に入った。ちなみにブランデスのさらなる望みは切断された自らのペニスを食うことだったが、さすがにそれは難しかったようだ。
 ブランデスは出血多量で意識を失い、マイヴェスによって喉を刺されて絶命した。
 マイヴェスは被害者の首を切断し、全身を順を追って切り分けていった。彼は肉を塩コショウとガーリック、ナツメグで調味して焼き上げ、ポテトと芽キャベツを添えてワインを開けた。ちなみにペニスは硬すぎて食べられたものではなく、肉は少し苦かったそうだ。

 マイヴェスはその後もネットで相手を探し続けたが、殺害まで申し出る者はその後現れなかった。
 彼の感覚はすこしずつ麻痺し、次第には馴れきって、ネット上に「カニバル・プレイ」中の写真を上げるまでになった。さらにはチャットでブランデスの殺害と食人をも自慢した。それがもとで、彼は通報された。
 マイヴェスは精神鑑定の結果、完全に正常とされ、殺人ではなく自殺幇助の罪で懲役8年6ヶ月を受けた。
 が、その後再審となり、2006年5月には終身刑を宣告されている。なお、マイヴェスは控訴中である。

 


 

●おまけ…「食べられた死体」

 

○ルイーザ・ラトガート

 彼女は女関係にだらしない夫をなじったことで殴り殺された。夫はソーセージ工場の経営者だったので、彼女はソーセージタンクで形がなくなるまで煮こまれ、残った滓は焼却された。犯行から逮捕までの半月間、このソーセージ工場は運営されつづけていた。

○ミセス・マッケイ

 マッケイ夫人はふたりの男に誘拐され、身代金(それは結局支払われなかったが)交換前に、射殺され、解体されて農場の豚の餌にされた。

○ミリアム・ジョーンズ

 彼女は恋人に別れ話を切り出したところ、逆上した相手に絞め殺され、養豚農場に運びこまれて焼かれ、あとは餌になるに任せられた。

 


※ジェフリー・ダーマー、ゲイリー・ヘイドニク、オマイマ・ネルスンについては、
 
MONSTERS」にそれぞれ別項を設けました。参照お願いします。

 

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