テッド・バンディ

 

 

 


 

 彼について、同僚の一人はこう語っている。
「正直言って、彼は若い男がこうありたいと思うすべてを身に付けていた。ハンサムで魅力的で、頭が良く、ウィットもあって、切れ者。しかも年齢不相応な落ち着きと自信に満ち、洗練されていた――。たぶんオフィスの半分以上の人間が彼に嫉妬してたんじゃないかな。彼に欠点があったとすれば、完璧すぎたってことぐらいだ」
 だがそう評された男の正体は、近代アメリカ史上最悪のセックス・キラーであった。

 




 セオドア(テッド)・ロバート・バンディは私生児として誕生した。父親は今もって不明である。
 生物学的には、生後数日間に愛情を受けなかった個体は、他の個体と愛情関係を結べなくなることが立証されている。バンディの場合、若い母親は彼を里子に出すかどうかの相談を両親とするため、生後まもない彼をホームに預けて帰省している。ほぼ2ヵ月後、母親の両親(つまりテッドにとっては祖父母)が彼を養育することが決定し、彼は実家に連れ戻されたが、その間はずっと施設に任せっぱなしであった。

 バンディはかなり大きくなるまで、祖父母を本当の両親と思い、実母を姉と思っていた。事実、そう教えられて育ったのである。
 彼は幼児期におけるあらゆる虐待(肉体的、精神的、性的)をいっさい否定している。
 しかし実際には、彼の育った家庭は完全に健全なものではなかった。祖父は短気な暴君で、過激な人種差別主義者で、暴力的であり、動物虐待者だった。
 祖母はつねに夫の暴力の被害者で、ひどい鬱病の発作にひんぱんに苦しんでいた。晩年には広場(アゴラ)恐怖症(フォビア)が昂じて、自宅から一歩も出られないまでになっている。

 そんな環境の中、テッドはあきらかに幼少時から異常性格のきざしを見せはじめている。


 叔母のジュリアが15歳のときのエピソードである。彼女がある朝目をさますと、甥のテッドが毛布をこっそり持ち上げ、肉切り包丁をベッドにすべりこませようとしていた。
「『なにしてるの!』って怒鳴ったわ。でもあの子ったらなにも言わずに、にたにた笑いながらただ突っ立ってるのよ」。
 そのときまだバンディは3歳であった。

 10代に入って、バンディは自分が「情性欠如者」であることを自覚しはじめる。彼は自分が他人に「共感」というものをいっさい覚えることができない人間であり、周囲にとけこむにはそれがかなりの障害になるであろうことも理解していた。
「いくつになっても、ほんとに芯からは人間関係の基本ってやつは掴めなかったな」
 と、後年バンディはインタビューにこう答えている。
 他人と自分が等価値の命であると感ずることも、他人の感情を受け止めるということも、どちらも彼にはほぼ先天的に欠けていた能力だった。
 だが幸か不幸か――彼は非常に高い知能を持っていた。周囲を見て学び「正常なふりをする演技」をすれば、社会的に問題を起こさず生きていけることを彼は知っていた。
 そしてその「演技」は年を重ねるほど上達し、いずれ同僚たちから「完璧すぎる男」という評価を得るまでになる。

 一方、テッドの「出生の秘密」は隠しとおすのが年々むずかしくなってきていた。ほとんどの隣人が実はあの子は両親の子ではなく、孫なのではと疑っていた。が、人々は慎み深かったし、それに一家の中でさえ、その話題はタブーだったので、表向きは平穏な状態が保たれていた。

 



 

 4歳のとき、テッドの母(それまでは姉だったが)が結婚することになった。彼は新しい姓「バンディ」を与えられ、同時に正式に彼女の「息子」となった。
 だが彼は無学で、字もろくに書けない義父をうとんだ。テッド・バンディは、「頼むから自分を養子に出してくれ」と再三母親に頼んでいる。どこか裕福な、知的階級の家庭へ行きたいのだ、と。
「その話を聞いて気づいたわ」。のちに叔母のジュリアは証言した。
「なにかがどこかひどく――とてもひどく間違ってるってことにね」。
 たしかにそれは手ひどい間違いだった。
 一番ひどいのはしかし、バンディ自身もそれに気づいていた、ということかもしれなかった。
 情性欠如者である彼には、他人の漠然とした感情は読み取れなかったし、また、他人の目を通した評価でしか自分自身を推し量ることができなかった。そして彼に理解できた「高評価な人物」とは実にステロタイプなものでしか有り得なかった。
 教養があり、会話はユーモアとウィットに富んで、つねに洗練された物腰。流行の衣服、流暢な薀蓄、おだやかで自信に満ちた態度。女性にはあくまで優しく情熱的。そして勿論美貌――。これはまさに後年彼が身につけた「仮面」そのものである。
 彼の知能がもし低かったら、これほどに周囲の目を気にせず生きていけたかもしれない。だが現実にはそうではなかった。そしてもっと悲劇的なことに、彼は実際には、自分の内なる欲望を押さえこめるほど理性的でもなかったし、法の目をかいくぐるほどの天才でもなかったのである。
 もちろんこれは、被害者にとっても加害者にとってもの悲劇、という意味だが。

 ともかくバンディは自分が「欠落した人間」「私生児」であることを押し隠すため、必要以上にプライドの高い人間となった。
 先天的な感情面の欠陥は、日常においての「学習」で容易にとりつくろうことができた。成績も優秀であり、たまに「怒ると手がつけられないほど凶暴」になったという性質も、長ずるに従って人前ではコントロールできるようになってきていた。

 そして彼は、運命の恋に落ちる。
 おそらくは彼の中にもともとくすぶっていた社会への憎悪に、火をつける恋である。
 それまで彼は意識下で暴君の祖父を憎み、自分をまっとうな環境に産まなかった母親を憎み、また富裕な家に自分を生まれさせなかった社会を憎んでいた。
 その憎悪が一気に「女性」という一点に絞られたのは、おそらくこのときである。

 

 彼はステファニー・ブルックスに出会った。
 彼女はまさに彼の求める女
――「高嶺の花」のステロタイプ――だった。家は裕福で、美しく、教養があり、TPOをわきまえた身のこなしも、如才ない態度も、スマートな会話のセンスにいたるまで彼女は完璧だった。
 この女を手に入れることができたなら、彼もこの高みに登れるはずだった。だが彼女にとってバンディは多くのボーイフレンドのうちの一人でしかなかった。
 じきにバンディは「子供っぽくて、飽きちゃった」という理由で彼女に捨てられる。
 テッド・バンディはしんから打ちのめされた。あまりの恥辱に彼は地元にいられず、アメリカ全土を放浪しながら、徐々に心を癒した。
 そして立ち直ったバンディがとった道はといえば、「彼女以上に完璧な男」になることだった。
 彼の望みは「この世の、すべてのステファニー・クラスの女」を虜にすることだった。彼はそれまでも充分に魅力ある美少年だったが、より以上を目指すにはもっと努力が必要だった。

 テッドはマナーを磨き、身だしなみとルックスにいっそう気を使い、共和党の活動をして政治家にコネを作った。彼は引ったくりを追いかけて掴まえ警察から表彰状をもらい、湖で溺れた子供を救い、自殺志願者のための電話カウンセリングで「プロ顔負け」の活躍をして多くの命を救った。

 そして7年後、バンディはステファニーと再会を果たす。
 そのときの彼は昔の彼とは別人だった。以前にも増して男性的でハンサム、法学部の学生で態度も物腰もチャーミングそのもの、会話の運びかたも都会的で、なおかつワシントン州の共和党代表なのだった。それに女性に対するアピールと情熱の示し方にいたっては前とは段違いであり、しかもあくまで紳士的なのだった。

 
ステファニーは「新たなテッド」に夢中になった。彼女は彼と婚約した。
 だがその直後、バンディは彼女との一切の連絡を絶った。彼女が電話しても電話しても、
「きみ、なにを言ってるの?」
 そう言って受話器を置くだけだった。
 バンディはのちにこう語っている。
「今の僕ならあの女を征服できるってことを証明したかっただけさ」。

 

 

 

 だが残念ながら、この子供っぽい復讐でバンディの怒りがおさまったわけではなかった。すでに彼の殺人癖ははじまっていたのだ。
 彼は非常に、被害者の好みにうるさかった。同じく女ばかりを殺したクリス・ワイルダーもかなり女の趣味にはきびしかったが(彼はモデル級の美女しか狙わなかった)、バンディの場合はもっと顕著だった。
 まずストレートのロングヘアを真ん中から分けて垂らしていること。髪は黒髪(ブルネット)
。清楚で知的な印象。年頃は10代後半から20歳前半といったあたりで、多くが学生だった。
 ここで言い添えておかなければならないことがある。ステファニー・ブルックスもロングのブルネットを、センターで分けていた。そして上流階級らしい品位があり、知的だった。
 ――これ以上、なにも説明すべきことはないだろう。


 
バンディによる最初の犠牲者が出たのは1974年とみられている。
 シアトルの女学生が、寝室で何者かに侵入され、ベッドのフレームの金属棒で頭を殴られたのち、その金属棒を用いて凌辱されたのである。血と臓物があたりに流れだすほどのひどい裂傷だった。彼女は1ヶ月間昏睡状態におちいったが、やがて意識をとり戻した。しかし頭部打撃により脳に障害が起き、警察は事件について有益な証言はなにひとつ得られなかった。
 2人目はしかし、生き残ることはできなかった。ワシントン大学で心理学を学んでいたこの女学生は、血のついたベッドカバーとナイトガウンを部屋に残したまま、失踪した。
 それから4ヶ月の間に、周辺で6人の女性が行方不明となった。これが一連の事件であることはあきらかだった。だが警察がそこに一定のパターンを見つけ出すことができるまでには、まだまだ時間があった。

 一方、それだけのハイペースで凌辱殺人を犯していながら、バンディは昼間は完全に普通人の仮面をかぶりとおしていた。しかも「ふたまた」をかけてそれぞれの恋人とも仲良くやっていたのである。彼は情熱的で、まめで、記念日にはバラの花束を忘れない男だった。
 1ヶ月に1人以上殺していたこの時期にラヴ・アフェアにまで励んでいたとは、実に精力的な話である。だがその行為には、彼の自尊心を満足させるためという一面もあっただろう。
 俺は女を「せっせと」殺している。そのかたわら、二人の女をも同時に満足させ、支配することができる。俺にはそれだけの器がある――。バンディはそう考え、ひとり満足していたに違いない。

 だが7月に入って、バンディは初めてミスを犯す。1日に同じ手口を使いすぎたのである。
 彼のあみだした方法とは、片手にギプスをはめ、三角巾で肩から吊って、
「腕を怪我してるんで、車に荷物を運ぶのを手伝ってくれないかな」
 と目当ての女の子にもちかける、というものだった(後年『羊たちの沈黙』でバッファロー・ビルがこの手口を真似ている)。
 驚くべきは、この際にバンディが本名の「テッド」を毎回名乗っていることである。彼の並々ならぬ自信のほどがうかがえるようなエピソードだ。
 その自信通り、彼はその日2人の女性に荷物を運ばせることに成功した。だが1人はすんでのところで「待ち合わせの時間に遅れそうだったから」という理由で彼から運良くのがれている。この「のがした獲物」が、警察で証言したことから手口がばれ、似顔絵や、テッドという名前までもが公開されたのだった。
 もっとも、これが本名だなどとは誰も考えもしていなかったが。

 警察には「人相書きに似ている男がいる」という密告電話が3000件以上届いた。そしてそのうちの4件は、正しい犯人――セオドア・ロバート・バンディ――を名指していた。しかもその中の一件はテッドの恋人からのものだった。
 だがこれで彼が捕まったわけではない。一応警察はこれらの情報をもとに容疑者リストをつくったが、前科もなく、選挙運動やボランティアに熱心な学生であるバンディは、3500名もの名がつらねられたリストの、一番下のほうにちょこんと名が記載されただけだった。

 シアトルは9月を迎え、そこでようやく死体が発見された。
 山腹の斜面で3人分の白骨死体が発見されたのを皮切りに、5ヶ月間で10名の死体が見つかった。


 が、皮肉なことにそのころバンディは根城を変えていた。彼はユタ州に引っ越したのである。

 ソルトレイク・シティではわずか1ヶ月の間に3人もの女性が失踪した。このころになるともう死体の捨て方も犯行も、かなりぞんざいなものになってきていた。
 今回の死体は白骨化される前に発見された。おかげで警察は多くを知ることができた。女性たちはひどく乱暴にレイプされ、異常な行為を強要されたあげく、ストッキングで絞殺されて、遺棄されたのだった。
 凶行の間隔もかなり短くなっていた。一週間とあけずに殺人を犯したこともあった。
 が、幸運も長くはつづかないものである。

 テッドが逮捕されたきっかけは、非常につまらないものである。彼はユタ州の巡査部長の車を深夜、ライトを消したまま猛スピードで追い抜き、不審な車とみなされて車内を調べられたのである。果たして車内からは、手錠や金梃子など、さまざまな拷問道具が発見された。おまけに女性の頭髪が一束見つかったのだ。
 以前、彼の魔手から逃れ得た女性がただちに呼ばれ、バンディを面通しした。
 彼女はバンディを一目で見抜いた。
 だが裁判所に出頭したバンディを見て、陪審員たちはたじろいだ。端整で知的な容貌。上品で礼儀正しく、態度はじつに魅力的だ。どう見ても女に不自由するタイプではない。それどころか毎週でもガールフレンドをとっかえひっかえすることが可能だろう。こんな男がセックス・キラーになる必要があるだろうか?
 しかし被害者の証言が決定打となった。バンディは1年から15年の刑を受け、刑務所に連行された。
 彼はしばらくの間をそこで過ごす。
 監房の天井板に穴をくりぬいて、そこから脱走するまでは。

 



 ふたたび惨劇がはじまった。
 フロリダ大学の女子寮が襲われ、四人が彼の犠牲になった。2人は重傷で済んだが、残る2人は死んだ。バンディは樫の棍棒で2人の頭を頭蓋が砕けるまで殴打し、体中を噛み裂き、食いちぎりながらレイプした。彼女たちの下半身はずたずたになるまで引き裂かれていた。
 まったく同じ夜、もうひとりの犠牲者が数ブロック離れたアパートでも出ていた。彼女も棍棒でめった打ちにされ、頭蓋骨が5ヶ所砕けた。死はまぬがれたものの彼女の片耳は完全に聴覚を失い、また平衡感覚もなくなった。彼女はちなみに、将来有望なバレリーナだった。

 このあたりから、バンディの犠牲者選びは節操がなくなる。「女なら誰でもいい」という状態にまで落ちこむのである。
 あれほど魅力的だった仮面も今はすっぽり抜けおち、そのころにはもうまともな立ち居振舞いさえできなくなっていた。口をきけば呂律はまわらなかったし、まっすぐ歩くことさえおぼつかなかった。

 彼の最後の公式な被害者は12歳の少女である。バンディは彼女をいつものごとく乱暴に凌辱したのち、四つんばいにさせて、背後から喉笛を切り裂いた。さながら家畜を屠るように。

 その6日後、バンディは盗難車のナンバーから足がつき、あっけなく逮捕された。
 警察ははじめ彼をケチな車泥棒であると思っていたが、やがてテッド・バンディであることが判明すると、捜査員たちは色めきたった。大物中の大物を捕らえたのである。

 

 マイアミでのバンディの公判は有名なものである。
 彼はなんと弁護士を断り、自らの弁護をかって出たのである。彼は被告であり、弁護士であり、弁護側証人でもあった。
 公判のたび、「テッドのグルーピー」と呼ばれた彼のファンの女性たちが裁判所に詰めかけた。テッドは彼女たちに笑顔で手を振る余裕まで見せ、あげくのはてに審問の最中、婚約者と結婚の誓いを交わすというパフォーマンスまでやってのけた。
 しかしなんといっても決め手は、被害者の遺体に残された歯型だった。こればかりはいくらバンディの話術においても言い逃れはできなかった。
 フロリダは「米国のデス・ベルト」と呼ばれる地帯である。死刑宣告が、他の州より頻繁に出ることからそう呼ばれているのだ。そしてもう、バンディの運命も決まっていた。
 裁判長は死刑宣告ののち、こう付けくわえた。

「これほどの人間性の浪費を見たのは、この法廷にとって悲劇でした。きみは優秀な青年です。立派な法律家になれたかもしれない。しかしきみは道を誤った……。今後、体に気をつけなさい――」

 テッドに関する著作は多く出版されたが、そのほとんどがこの言葉をしめくくりとして使っている。
 たしかにその宣告から電気椅子にかけられるまで、テッドはほとんど語る価値のあるようなことはしていない。彼は雄弁だったが、同時に実のあることはなにも話さなかった。幼少時に虐待を受けたことがあるかという質問に対しては、憤然として否定した。しかし見栄坊の彼のことだから、これはもちろん信用できない。

 バンディがいったい何人殺したかについて、正確なところは今もわかっていない。
 少なく見つもって36人、と言われているが、バンディ本人は首を振って、
「それに数字をひとつ加えれば、ちょうどぴったりだよ」と言った。
 この言葉の意味も、いまだ曖昧とされている。ひとり足りない、つまり37人だと言いたかったのか、それともゼロをひとつ足して3桁の数字にしろという意味だったのか――。後者だと信じる捜査官も、いまだ少なくない。

 



 1989年1月23日、彼は電気椅子に座った。
 刑場の外では、1000人以上の群集が「バンディをフライにしろ」と書かれたプラカードをかかげて、喝采した。

 

 

 

 

 

 

 

 


「この世から人間がひとりや2人消えたからといって、
 それがどうだっていうんだ?」

              ――セオドア・ロバート・バンディ

 

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