LITTLE KILLERS
子供達は我々の社会の一員のように見えて、実は彼らは彼らの論理と法律に
のっとった社会で生きている。たとえ不完全であれ、それが社会であるならば
そこに諍いや殺人があったとて、何らの不思議は無い。
- 1748年に起こった事件。貧民収容施設で、10歳の子供が5歳の幼児をナタで切り裂いて殺した。ベッドの数が足りないため、彼らはひとつのベッドに寝かせられていた。殺害の原因は、5歳の幼児がおねしょをしたからだった。
- 1778年に起こった事件。8?10歳の3人の少女が、3歳の幼児の体内に「先にピンを取り付けた棒」を押し込んだ。幼児の陰部はずたずたになり、壊疽を起こして数日後、死亡した。
- 1854年に起こった事件。叔母に預けられていた10歳の少女が、叔母の赤ん坊の喉を切り裂いて殺した。少女は当初「見知らぬ男がやって来て赤ちゃんを殺した」と言い張ったが、周囲は信じなかった。
- 1861年に起こった事件。2人の8歳の少年が、2歳の幼児を誘拐して連れ回し、裸にして川に突き落とすと、死亡するまで棒で殴った。2人は取り調べの最中ずっと、被害者の幼児を「それ(IT)」としか表現しなかった。
- 1881年に起こった事件。3人の子供がいる農家で、2歳児が原因不明で溺死した。次には赤ん坊が泥の中で窒息死した。子守りの少女は、犯行を認めた。
- 1920年に起こった事件。7歳の少年が、飛行機のおもちゃで遊んでいる子供を見て、それを貸さないなら溺れさせてやる、と言った。子供がおもちゃを貸さなかったので、彼はほんとうに子供を運河に突き落とし、土手に這い上がろうとするたびその手を蹴りつけて落とし、溺死させた。少年は精神科に通院中だった。
- 1938年に起こった事件。4歳の幼児が、性的ないたずらをされて絞め殺されているのが発見された。犯人は13歳の少年で、幼児に服を脱げと言ったところ、騒がれたので殺した、と述べた。
- 1947年に起こった事件。乳母車に乗ったままの赤ん坊が、水のたまった穴から溺死体となって発見された。犯人は9歳の少年。彼は「僕が赤ちゃんを水の中に捨てました。理由? 理由なんかなくて、ただそうしてみたかったんです」と供述した。
- 1948年、日本で起こった事件。16歳の少年が、近所の5歳の少女にいたずらしようとしてなじられ、かっとなって絞め殺した。それでも腹立ちがおさまらなかったので、死体を40箇所にもわたって切り刻み、背中にカタカナで「マタコロス、ナマイキナ女メ」と読めるよう切り込みを入れた。
- 1968年に起こった事件。生後7ヶ月の赤ん坊が、撲殺された。両目の中からは一対のイヤリングが発見された。検屍官は、4歳と3歳の兄弟の年齢がもう少し上だったら、起訴までいけただろう、と語った。
- 1968年に起こった事件。
3歳の男の子がある日、防空壕に落ちて大怪我をした。この子はそのとき、上で2人の女の子と遊んでいた。11歳のメアリ・フローラ・ベルとノーマ・ベルである(2人の間に縁戚関係はない)。
その翌日、6歳の2人の女の子の母親たちが、警察にきて言った。「うちの子が、メアリ・ベルに首を絞められた」と。
それから半月もたたないうち、4歳の男の子(マーティン・ブラウン)の死体が発見された。そのまた翌日、メアリはノーマの妹の首を絞めているところをノーマの父親に見つかり、殴られて追い払われている。
そして同日、近所の保育園に誰かが押し入って器物を破損していった。現場には「バカ、殺すぞ、見張ってろ」という殴り書きが残されていた。さらには「マーティン・ブラウンを殺したのはオレたち、バカ」とも。
その4日後、メアリはブラウン家を訪ね、マーティンに会いたいと言った。ブラウン夫人が
「ごめんなさいね。マーティンは死んだのよ、会えないの」と言うと、
「知ってるわ。あたしはお棺に入った彼が見たかったの」と答えた。
さらに2ヵ月後、3歳のブライアン・ハウが行方不明となった。捜索の最中、メアリが「空き地のブロックの中にいるかもね」と言い出した。死体はその通り、ブロックの中にあった。ブライアンは絞め殺され、脚や腹を切り刻まれていた。
警察署に連れていかれたメアリは、まず最初に「弁護士を呼んで」と言った。そして犯行のすべてをノーマになすりつけ、詳細な説明をした。メアリはきわめて頭脳明晰だった。精神科医は彼女を「利口、戦略的、危険」と評した。
また彼女は取り調べの最中、婦警に対してこうも言っている。
「大きくなったら看護婦になりたいわ。人に注射針が刺せるから」。
「人を傷つけるのが好きなの」。
明らかにメアリの支配下にあったノーマは無罪となり、主犯のメアリは施設に送られた。13歳で、彼女は担当教師に性的虐待を受けたと申し立てたが、でっちあげとして却下されている。
メアリは20歳の時、刑務所から脱走をはかったが、3日後に発見された。しかし23歳で、仮名を与えられ釈放された。現在彼女については報道禁止令が出されている。
メアリ・フローラ・ベルは「驚くほど不潔な環境」で「愛情なく」育ったそうである。
- 1975年に起こった事件。13歳の少年が、近所の年配の女性を鉄パイプで殴り殺した。犯行の動機は「花火を買うお金が欲しかったから」だった。
- 1976年に起こった事件。13歳の少年が、釣りをしていた12歳の子供と仲良くなった。少年はその子を男の子と思い込んでいたが、実は女の子であった。少年は「怒りと困惑で我を忘れ」、少女を刺し、絞め殺した。
- 1978年に起こった事件。アパートで一人暮らしをしていた84歳の老女が、殴り殺されていた。逮捕された犯人は4歳と6歳の子供。彼らは普段からこの老女をいじめたり、金品をまきあげたりしていた。
- 1979年に起こった事件。9歳の少年が、生後8ヶ月になる妹を折りたたみナイフとボールペンで刺し殺した。
- 1986年に起こった事件。5歳の少女が友人と一緒に、生後3週間の赤ん坊の足を掴んでふりまわし、壁に叩きつけて殺した。
- 1988年に起こった事件。12歳の少年が2歳の幼児の顔を泥につけて窒息死させた。少年は模範的な少年だと周囲に思われていた。なお彼は両親が別居中だったため、被害者の家に預けられ、世話になっていた。
- 1992年に起こった事件。子守りをしていた11歳の少女が、赤ん坊が泣き止まないのに腹をたて、ベビーベッドの横木に叩きつけた後、鼻と口を手で押さえて窒息死させた。
- 1993年に起こった事件。
ジョン・ベナブルズとボビー・トンプソン(ともに10歳)は学校をさぼり、ショッピングセンターをうろつくうち、2歳の幼児に出会った。幼児の名はジェームズ・バルガー。
バルガー夫人がふと目をはなしたすきに、ジョンとボビーは彼の手をひき、連れ出してしまう。
2人はジェームズを殴ったり蹴ったりしながら何キロもの距離をひきずりまわし、線路脇の土手で、彼に向かってレンガを投げつけはじめる。さらにはペンキの入った缶や石を頭部や顔面めがけて投げ、鉄パイプで殴りつけたりもした。
ジェームズは倒れるたび、よろよろと起き上がろうとしたが、ボビーは「ちくしょう、寝てりゃいいんだよ」と怒鳴り、レンガを投げつけた。
ジェームズが動かなくなると、彼らは脱がせた下着を彼の顔にかぶせ、線路の上に置くと、「もう顔を見たくなかったから」レンガを重ねて顔を覆った。
そのうち列車がやって来て、ジェームズの下半身をはね飛ばした。裸体の下半身は上半身から4メートル以上離れたところに落下した。
発見されたジェームズの死体は殴られ、蹴られたあざが無数に付いており、下唇は顎からちぎれかけていた。頭蓋骨は粉々に砕けていたが、殴打のあともしばらくこの2歳の幼児は死にきれず、じわじわと生きていたようだった、という。
ジョンは、先天性の障害を抱えた兄と妹にはさまれ、放置気味に育った。両親の気をひくため兄の仕草を真似たりしているうち、同じように癇癪の発作を起こすようになるが、のちには兄妹のためのカウンセラーが、ジョンのほうにかかりきりにならなければならないほど、その奇行は激しくなった。ジョンは情緒障害と診断され、学校でも「目立った問題児」であった。
ボビーの母はアル中の父親の暴力のもとで育ち、のちにそれと同程度か、それ以上のアル中の男と結婚し、6人の子供を生んだ。その5番目の子供がボビーである。
父親は子供と妻に暴力をふるい続けたあげく、姦通癖のある女とデキて家を出ていった。体重100キロを越える、摂食障害の母親は以来酒びたりとなり、子供たちに虐待をはじめる。
母親に代わり、年長の子供が家事をまかされることになったが、虐待の連鎖は切れず、今度は年かさの子供が年少の弟たちに暴力をふるうようになった。5番目のボビーは、つねに「虐待を受ける側」だった。
普段からイニシアチブをとっていたのは、ボビーのほうであったようだ。ジョンは警察で被害者や被害者の家族に謝罪の言葉を口にしたが、ボビーからその言葉は絶えて聞かれなかった。
- 1997年、日本で起こった事件。
5月27日、神戸市の中学校校門前に、顔を切り刻まれた子供の生首が置かれていた。切り裂かれた口に突っ込まれていた文書には、
「さあ、ゲームの始まりです/愚鈍な警察諸君、僕を止めてみたまえ/僕は殺しが愉快でたまらない/人の死が見たくて見たくてしょうがない/汚い野菜共には死の制裁を積年の大怨に流血の裁きを/(+)SHOOLL KILL」。とあった。重ねて、署名は「酒鬼薔薇 聖斗」。
同日、近くの丘陵(俗称タンク山)から胴体部が発見され、行方不明となっていた小学校6年生のJ君であることが確認された。
ほぼ1ヵ月後、容疑者が逮捕される。14歳、中学3年生の少年であった。
少年の家族は両親と弟2人。同居していた祖母はすでに他界している。専業主婦だった母親は長男である息子が「消極的で神経質」だと感じ、甘やかすことなく厳しく叱り気味にしつけた、という。もともと情愛の濃いタイプではなかったが、同居する祖母に可愛がる役目を任せてしまったようなところがあり、それで余計に子供との距離の取り方がわからなくなったようだ。だが小学校3年のとき、少年を叱ったところ「異常な泣き方」をしたので医者に連れていくと、
「ノイローゼになりかけている。しつけを控えなさい」
と言われたので、一転して手綱をゆるめた。これ以後、彼女は少年がほかの子に乱暴してもたいして叱ることなく、学校に呼び出されても謝りもせず連れ帰るなどの奇妙な甘さを見せるようになる。また彼女はほかの同級生の母親たちにも、エキセントリックな人として敬遠されていたふしがあったようだ。
5年生のとき、祖母が他界。家族の中でよりどころであった存在が死を迎えたショックから、「死」に興味を持つようになる(宮崎勤や、デニス・ニールセンにも共通するたぐいのエピソードである)。小動物を常習的に殺すようになり、猫の足を切断して殺したり、切りとった猫の舌を持ち歩いて見せびらかしていたという。また、粗暴な態度も目立つようになり、同級生にしばしば乱暴をはたらいている。
この頃、己に「酒鬼薔薇 聖斗」という名を名づけ、「バモイドオキ神」なる存在を夢にみる。
同級生や弟をいじめ、小動物を殺すことで性的に未分化なままサディズムだけが発達。あるとき、猫を殺した興奮で勃起し射精した。その後はホラー・ヴィデオの惨殺シーンなどを見ながら自室で手淫。J君の首を切断した際にもオーガズムに達し、事件後はその情景を思い浮かべて、何度も自慰を行なった。
中学に入ると、いじめ・万引き・乱暴を繰り返し、女生徒に脅迫文を送るなど陰湿なエスカレートの傾向をみせたため、精神科医にかかる。治療は一応終えたが、母親との仲はこの一件でいっそう疎遠になった。
中学2年になり、小学生女児4人にハンマーで殴ったり、ナイフで刺すなどの通り魔的犯行をおこなう(うち1人は死亡)。また同時期、学校教師に「人の命なんてアリやゴキブリと同じやんか。けど僕の命だけは大切や」と言っている。
学校へ行かなくなった少年は「殺す相手」を探してふらつくうち、被害者のJ君と出会う。J君は精神遅滞の気味があり無邪気だったので、顔見知りでもある少年にたやすく気を許し「亀を見せてあげる」という言葉につられてタンク山についていった。
タンク山にて、J君を絞殺。翌日、金ノコで首を切断。5月27日未明に中学校校門前に生首を据えた。
10月、少年は家裁判決により、医療少年院送致が決定した。
その後6年が経ち成人した彼は、「あたたかい人たちに囲まれてひっそり暮らしたい」とコメントしたという。
2004年3月、関東医療少年院を仮退院。法務省は年内一杯で保護観察を終え、完全に社会復帰すると正式発表した。
最後に、彼が神戸新聞社へ出した声明文を模写したいと思う。とても中学生らしい(ある意味健全と言っていいほど)文章である。自己意識が発達しつつある時期には誰しもがこういった選民意識、超人思想にかられ、社会や大人をつまらぬものと見くだしがちである。
漫画やSFファンタジーにありがちな大仰な言い回し、あからさまな自己顕示欲などは、「恥」「照れ」の概念が発達した日本において、社会人にはあまり見られない文章であろう。
また平易で内容がわかりやすく、かなり理路整然としており、分裂病様症状に見られる文体の崩れや飛躍がない。こういった「自意識過剰でありながら、端整」な文章は学校教育の影響の只中にある人間が綴りがちであり、「自己愛の肥大する時期の少年の手記」の極端な例としても興味深いと思える。(註:SCHOOLの誤字は原文のままとした)
「この前ボクが出ている時にたまたまテレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた
人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも謎かけでも当て字でもない、嘘偽りないボクの本命である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう
やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない
だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない
そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。
最後に一言
この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。
??
ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている
??
P.S 頭部の口に銜えさせた手紙の文字が、雨かなにかで滲んで読み取りにくかったようなのでそれと全く同じ内容の手紙も一緒に送る事にしました。
さあ、ゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君、僕を止めてみたまえ 僕は殺しが愉快でたまらない 人の死が見たくて見たくてしょうがない 汚い野菜共には死の制裁を積年の大怨に流血の裁きを SHOOLL KILLER 学校殺死の酒鬼薔薇 」
ちいさな娘がいたってさ
おでこのまんなか かわいい巻き毛
いい子のときはとてもとてもいい子
だけどわるい子のときはぞっとする
??マザー・グースより??
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