ジャンヌ・ウェーバー

 

 人たちは昼の不如帰には感動しないならわしだ。
彼らに合点されるのは
骨壷の中のばらばらの
詩人の骸に如くはない。

             ――ジャン・コクトー
 


 

 モントルマルの貧民街にグートドールという地区がある。そこにウェーバーという4人の兄弟が住んでおり、ジャンヌはそのひとりの妻だった。彼女は3人の子供のうち2人をなくしていたが、その悲しみを酒で埋めている、ともっぱらの評判だった。だがそれは同情でありこそすれ、非難ではなかった。

 ある日、義姉がジャンヌに「買い物にいってる間、ちょっとうちの子を見ててちょうだい」と頼んだ。彼女はこころよくこれを引き受けた。
 だが間もなくして、近所の人が「ジャンヌに預けた赤ん坊がおかしい」と告げにやって来た。彼女がとんで帰ると赤ん坊は蒼白で、泡をふいていた。ジャンヌも真っ青な顔をして、懸命に赤ん坊の胸を撫でさすっていた。
 やがて息づかいがおだやかになったようだったので、義姉は買い物にもどった。
 そうして一時間ほどして帰宅すると、赤ん坊は死んでいた。
 死体の喉には赤い指の跡らしき痣があったが、両親はそれは気にとめなかった。ころは20世紀初頭、新生児の突然死は悲しいが珍しいことではなかった。

 それから9日後、夫妻は家をあけて外出することになった。ふたりはまたジャンヌに子供の世話を頼んだ。今度は上の子で、2歳の女の子である。
 夫妻が帰宅すると、女児は痙攣発作を起こして死んでいた。叔母ジャンヌは悲嘆で口もきけない有様だった。

 二週間後、ジャンヌは別の義兄の家で、奥さんに「すこし出かけるから、子供を見ててね」といわれた。生後七ヶ月の女の子である。
 すると、階下に住んでいた祖母が突然赤ん坊の悲鳴を耳にした。急いで駆けつけると赤子は痙攣状態であえいでいた。抱き上げてさすったりしているうちにどうやら落ち着いたようだったので、祖母は自室へと戻った。
 それから数分後、ふたたび悲鳴が聞こえた。祖母がかけ上がってみると、赤ん坊は息を荒くしていた。喉には赤い痣があった。
 が、両親が帰宅するころには赤ん坊は回復していた。

 翌日ジャンヌは姪っ子の様子を見にやってきた。信じがたいことだが、母親はまたも彼女に赤ん坊の世話を頼んだ。
 今度は駄目だった。母親が帰宅すると赤ん坊は死亡しており、医師はジフテリアと判断して診断書を書いた。

 それから三日後、ジャンヌのたった一人残った息子が「痙攣状態」になり、死んだ。

 さらに一週間後、ジャンヌは二人の義姉をランチに招いた。そのとき、片方の義姉が生後10ヶ月の赤ん坊を連れてきていた。なぜそうなるのかまったく合点がいかないのだが――またも、ふたりの義姉はジャンヌに子供の世話をまかせて外出してしまう。
 ふたりが戻ってみると、赤ん坊は呼吸困難を起こしていた。喉には例の赤い痣。
 今度こそ義姉は猛然とくってかかった。
「あんた、この子の首を絞めたんだね」
「そんな、とんでもない」
 ジャンヌは否定したが、義姉はそれを無視して病院に駆け込んだ。医師は「誰かに絞め殺されかけた」と診断し、警察に通報した。
 警察はジャンヌの三人の子供も、すべて同じ「不可解な痙攣発作」で死んでいることを突き止めた。しかもそれ以前にも、彼女が世話をまかされた子供がふたり死んでいた。
 しかしまた、こんな前歴にもかかわらず、なぜウェーバー一族は彼女に子供を預けつづけたのか? また、なぜこんなにも長い間、これだけの怪事件が人々の噂にすらのぼらなかったのか?
 警察は赤ん坊の遺体を何体か掘り起こし、検死した。しかし絞殺の形跡はなかった。たとえば喉を圧迫すると簡単につぶれるはずの舌骨は、無傷だった。

 ジャンヌの裁判でフランス国内は騒然となった。
 が、彼女は証拠不十分で無罪となった。
 彼女は夫に離婚され、別の土地でやりなおすことにした。仕事は家政婦で、雇い主は三人の子持ちの男やもめ。労働条件はいいとは言えなかったが贅沢は言えなかった。それになにしろ、世話する子供は多ければ多いほどよかった。

 一ヵ月後、彼女の新しい主人が帰宅すると、9歳の息子が消化不良を起こして苦しんでいた。胃薬を飲んだが悪化するばかりで、そのまま息をひきとった。
 いったんはこの死は脳膜炎のためと診断されたが、死んだ少年の姉は家政婦をあやしみ、警察に再調査を嘆願した。その結果絞殺が認められ、家政婦の正体が、かのジャンヌ・ウェーバーであることも発覚した。
 彼女はふたたび法廷に立たされたが、有能な弁護士がまたも彼女を助けた。
 ジャンヌは無罪方面となり、また別の地へ移った。

 つぎに彼女はある児童施設で、子供の首を絞めているのを発見され、解雇された。
 もう雇い主はなくジャンヌは浮浪者の売春婦となった。精神病院に入院したこともあるが、退院してからはまた売春婦となった。
 しかし、またここで彼女に救いの手が差し伸べられる。ジャンヌはある職人の男と知り合い、再婚した。

 ある日、ジャンヌは家主夫婦に「うちの人、酔って帰るとあたしを殴るの。でも子供がいてくれればきっとそんなことしないわ。だからお宅の坊やにベッドで一緒に寝てほしいんだけど」。
 これは奇妙な申し出だ。しかし夫妻はあやしまず、7つになる坊やを彼女に預けた。
 その夜の10時頃、子供の悲鳴が聞こえた。家主夫妻は仰天し、ジャンヌの部屋のドアをあけた。
 子供はすでに絶命しており、口から血の泡をふいていた。ジャンヌは口のまわりを血だらけにして、興奮状態で、なおも死体をかきむしろうとしていた。

 ジャンヌが発狂していることは明らかだった。
 彼女は精神病院へ送られ、2年後、「痙攣発作を起こして」死亡した。
 両の手が、自分の喉に巻きついていた。

 

 


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