同性愛殺人者

 

 

 


女性編

 

◆ルース・ジュッド

 

 事件が発覚したのは、駅に置き去られた2つの巨大なトランクのゆえである。
 トランクはあきらかに異臭を放っていた。駅員があやしんでそれを開けてみたところ??中から出てきたのは、2人の女性のばらばら死体であった。ひとりは若い美人、もう1人は肥満ぎみの中年女。
 またトランクの中からは、おそらくこの2人を写したのだろう写真が数枚見つかった。どれも仲よさげで、写真の裏には「サミイとアン」と書かれていた。若いほうがサミイ、中年女がアンであった。

 トランクを遺棄した犯人は容易に知れた。27歳のブロンド美女、ルース・ジュッド夫人である。犯行が発覚したのちも、彼女の夫に「あれはそんなだいそれた真似などできるはずのない、おとなしく、しとやかな女です」と言わせたほどの模範的なレディであった。
 ルースとアンは、ある療養院での同僚だった。サミイはその患者だったが、ほとんど治りかけており、病院内ではその明るい性格で、かなりの人気者だった。
 ルースの夫は医者だったが、嘱託医で各地を転々としていたので留守がちであった。夫婦仲は誰の意見を聞いても「とても良かった」とのことである。
 一方アンは夫とそりが会わず、別居していた。彼女は看護婦として患者のサミイに尽くすうち、この若い美女に恋してしまう。2人の関係は急速にすすみ、サミイの療養のため、手に手をとりあって空気のいいアリゾナへ移った。そして2人はそこでルースと出会ったのだ。
 ルースもまた、サミイに恋をした。彼女の求愛は情熱的で激しく、サミイも彼女を憎からず思ってしまったようだ。
 当然のことながら、3人の関係は急速に険悪なものとなった。ルースはサミイに駆け落ちをもちかけたり、花束や菓子などを贈って彼女に媚びている。しかしアンはこれを見つけ次第、怒りくるって「ルースに叩きかえせ」とサミイに命じた。

 死体が発見された後もルースはしばらく放浪していたが、やがて夫に電話して迎えに来てくれと言った。妻を愛していた夫は彼女のもとへ飛んでいった。そのまま彼女の身柄は警察に拘束された。
 2人を殺してしまったのは、例の如くサミイをはさんで口論になったからであった。だがサミイはアンの味方をした。ルースはそれで逆上し、2人を撃ったのである。
「夫を愛してました。でもサミイのことはそれ以上に??。あたしのサミイに対する愛は言葉なんかじゃ説明できません。男と女の愛なんかより、ずっと深刻で真剣で??」。

 ルースは死刑を宣告された。電気椅子に座る直前、彼女は来訪していた夫のジュッド医師には目もくれず、
「サミイが待ってます。あたしはサミイの処へ行くんだわ」
 という台詞を最後の言葉として、死んだ。

 

 

 (但し冤罪という説もあるという。2004年12月10日付記)

 


◆アイリーン・ウォルノス

 

 彼女は「連続殺人者に女はいない」というそれまでの定説を打ち破った存在だ。彼女は「ハイウェイの死の貴婦人」という異名で呼ばれた。

 リゾート地、フロリダは1989年、常にはない恐慌にみまわれていた。州間高速道路周辺で、銃弾で穴だらけにされた中年男性の死体が次々と発見されたからである。
 犯人の名はアイリーン・ウォルノス。30歳を過ぎていたが、アルコールやドラッグ、不摂生な生活のせいで歳よりずっと老けて見えた。
 アイリーンの父親は習慣的幼児強姦者で、服役中に首を吊って死んだ。
 14歳で妊娠した彼女の母は生まれた子供をもてあまし、自分の両親に預けて立ち去った。アイリーンは長いこと祖父母を実の両親と信じて育ったが、その祖父母はともに酒癖の悪い飲んだくれで、とくに祖父は虐待に近い体罰を毎日のようにおこなった。
 アイリーンが処女を失ったのは11歳だったが、このとき彼女は、自分の体を武器にして他人を操れることを初めて知った。無力な彼女にとって、それは啓示に近いものだった。彼女は煙草1箱のためにですら、平気で体を売った。
 この時点でもう彼女の人格はあらかた形成されていた。自尊心が低く、不安定で、口汚く、嘘つき。愛情に飢えていたものの、それをまともに求めるすべを知らなかった。
 彼女は実の兄とも関係を持ち、結託して祖父に反抗した。14歳で妊娠・出産するがこの子は里子に出している。このあたりから自殺癖もみられるようになった。
 20歳のとき、50歳近く歳上の男と結婚するがわずか1ヶ月で破局。アイリーンは次第に自分の中にある男性への憎悪に気づきはじめていた。彼女はレズビアンであることを、徐々に周囲にも公言しはじめる。

 アイリーンの犯行は単純なもので、売春婦として男を誘い、殺し、金品を奪うというものである。
 彼女は逮捕後も頑として口を割らなかった。が、元恋人のタイラの言葉が彼女を動かした。最初のうちこそ
「自分のやってないことでブチ込まれる気なんかないわ」
 と、うそぶいていた彼女だったが、タイラが
「あんたのやったことであたしまで逮捕されたらどうするの?」と詰め寄ると、
「わかったよ。……好きにしな。あたしはあんたを愛してる。ちくしょう、首ったけなのさ。あんたにつらい思いなんかさせるつもりはないよ」と言った。
 そのうちタイラは「自殺してやる」と口走った。アイリーンの冷静さがはじめて崩れた。
「ああ、あんたはなにひとつしてないよ。みんなあたしがやったんだ。話すよ。警察にみんな話すともさ。ねえ、だからハニー、死ぬだなんて言わないでちょうだい」。
 あきらかにタイラはアイリーンの唯一の急所だった。タイラはまんまるに太っていて醜く、およそ男から見て魅力のかけらもない女だった。愚鈍で無能であり、従順だけがとりえのような女。だがアイリーンはタイラに夢中で、永遠に彼女の保護者であり、恋人でありたいと思っていたのだ。……そのタイラはしかし、罪をまぬがれるためにすすんでアイリーンを警察に売ったのだけれど。

 アイリーンは7人の殺害に対し、6回の死刑を言い渡された。判決を聞き、彼女は
「クズども。てめえらみんなレイプされちまえ」
 と叫んだ。最後まで男という男を憎みきっていた。

 


◆ジーネス・ジューン・フリーマン

 

 ジーネスは4歳のとき、ベビーシッターの少年にレイプされた。彼女の母が帰宅したとき、ジーネスはパニック状態に陥り、泣き叫んでいた。このときこの少年はなんらの処罰を受けなかったが、のちに別の子供への暴行罪で懲役になっている。

 この一件以来ジーネスは手の付けられない子供となった。1度感化院送りになったこともある。
 21歳になったとき、ジーネスは夫に捨てられたばかりの若妻、ジャクソン夫人と出会う。ジーネスはただちに彼女を誘惑し、関係を持った。
 ジャクソン夫人は痩せぎすで眼鏡をかけており、性的魅力には乏しかった。対してジーネスはすこしキツい感じではあるものの美人で、短い髪をきゅっとカールさせていた(「わたしがタチ(男役)よ」と彼女は悪びれずに言った)。
 ジャクソン夫人は、一も二もなく彼女に支配された。
「ジーネスがボスでした。彼女の言葉は絶対でした。あのひとはわたしに、裸で家の中を歩かせたがったけど、そんなことは子供の前ではとても……」
 夫人は2児の母だった。ジーネスはジャクソン夫人の愛を独占するには、子供たちが邪魔だという結論に達した。
 ジーネスは恋人にしばらく散歩してくるよう命じ、2人の子供を殺害した。ジャクソン夫人が戻ってきたとき、ジーネスは下の子の服を剥ぎ取っているところだった。彼女はそれに手を貸し、共同して子供たちの性器を切り取った(変質者の犯行と見せかけるためか?)。
 それから2人は子供らを崖の上から投げ落とした。上の子はもう死んでいたが、下の子供はそのときまだ生きており、岩に衝突して死んだ。
 ジャクソン夫人はジーネスの手を見て「血がついてるわ」と言った。
 ジーネスはそれを「おいしい」と言って舐めた。それから2人は車の中で抱きあい、激しいキスをした。

 2人の女は死刑を宣告された。

 


◆ポーリーン&ジュリエット

 

 1954年、16歳の少女・ポーリーン・パーカーとジュリエット・ヒュームは、ストッキングにくるんだ煉瓦でポーリーンの母親を殴り殺した。じつに45回にもわたる激しい殴打により、頭蓋骨は完全に砕けていた。理由は「わたしたちの真実の愛」を引き裂こうとしたからだ、と彼女は言った。
「毎日、何千人となく人が死んでるんですもの。ママが死んだっておかしくはないわ」
 ポーリーンは凶行について、日記にそう書き記している。
 未成年の犯した犯行ゆえか、彼女らの事件の詳細な記録はあまりない。だが2人は自分たちを特別な、選ばれた存在だと思っていたようで、この項の「男性編」に紹介するレオポルドとレーブに少し似ている。
 2人は何十通もの手紙を交わし、「皇帝」「騎士」などとお互い署名した。みずからを天才と思い込み(10代にありがちな錯覚だ)、
「わたしたちは法律に縛られない」
「ベッドで『聖人の愛しあいかた』を試みる。みごとな成功」
 とポーリーンの日記にはある。
 2人は逮捕されたが、2度とふたりきりで会わないという条件のもと、5年後に釈放となる。たしかにその約束通り、ふたりが再会した様子はないようだ。
 なおジュリエットはその後、アン・ペリーの筆名で中世を舞台にした連作ミステリをものにし、ベストセラー作家となった。彼女の作品は邦訳もされている(創元推理文庫刊)ので、興味のある方は読んでみるといいだろう。

 


男性編

 

◆ジョン・ウェイン・ゲイシー

 

 ゲイシーは、その地域では成功者リストのかなり上位にくるような男だった。
 フライド・チキン店を3つ経営し、新進実業家の集まりである青年会議所??ジェイシーズの最優秀会員にも選ばれ、次期会長候補筆頭とされていた。政治家にも有力なコネクションを持ち、親切で思慮深く、人格はいたって円満。とくにボランティアの趣味は有名で、ピエロの「ポゴ」に扮装して入院中の老人や子供を慰問してまわるのが大のお気に入りという、絵に描いたような好人物だったのだ。
 玉にキズといえば2度結婚して2度とも離婚していることだが、それは「女に強い男」というイメージを彼に与えこそすれ、けっしてマイナスになるものではなかった。
 そんな彼の家の床下からは、33体の腐乱死体が発見された。そのすべてが、若い少年のものだった。

 ゲイシーは家族のただ1人の男子として、父親に多大な期待をかけられて生まれた。だが完璧主義者で癇癪持ちの彼にとって息子は「失望のかたまり」でしかなかった。生涯かけてゲイシーは父親を満足させようと必死だったが、ついぞその願いはかなえられなかった。
 父親は彼を精神的にも肉体的にも虐待しつづけた。「愚図」「間抜け」「オカマ野郎」そして「おまえみたいなクズはきっといずれホモになる」。父は同性愛者を蔑視しており、それを隠そうともしなかった。
 5歳頃から、ゲイシーは失神の発作をひんぱんに起こすようになる。機能的な疾患ではないようだったが、医者は発作の抑制として強力な鎮静剤を多量に処方した。彼の病気が心因性の癲癇だったことがわかったのは、10歳を過ぎてからである。
 5年以上もの間、彼はけたはずれに強い薬剤を無用に服用しつづけていた。しかも彼はその時点で「薬漬けの半病人」になりかけてもいた。おそらく脳機能にもなんらかの弊害が出たとは思うのだが、詳しいことはわかっていない。
 だが父親は彼のこの発作を「仮病」だとして、絶えず罵った。息子のすることは一切合財、彼にとっては嘲笑の対象だった。
 しかしゲイシーは彼が死ぬまで、ご機嫌とりをしつづけた。父親に愛され賞賛を勝ち得たとき、自分にとっての人生は変わるかもしれない??そう彼は思っていたのだろうか? だがともかく、そんな日が訪れることはなかった。

 だが22歳のとき、ちょっとした過ちで年上の男性と性的な関係をもってしまう。ゲイシーは翌朝激しく後悔し、心からこの一件を締め出してしまった。
 だが彼の性癖の目覚めは抑えようがなかった。ゲイシーは肉体的には両性愛者だったが、精神的にはどうしようもないほど同性に惹かれ、かつ愛憎に燃えていた。
 しかし彼はそれを社会的に押し隠しておけないほど、愚かではない。ゲイシーは正常に結婚し、めきめきと頭角をあらわした。彼は勤勉で精力的であり、1日に10?14時間働くことを苦にしなかった。
 そんなある日、彼はジェイシーズの会員の息子を道で見かけ、車で送ってやることを約束した。彼はしかし少年を送ってはやらず自宅へ連れ込み、関係を持った。だがこれが発覚し、同時に店の従業員の少年が同様のソドミー行為で彼を訴えた。彼は揉み消し工作に奔走したが、ついに刑が確定し監獄送りになった。

 出所した彼は一からやり直し、再婚した。だがこの結婚から7ヵ月後、ゲイシーの本格的な連続殺人ははじまっている。ビジネスは成功し、拡大した。また地域活動にも熱心だったし、まったくの無償ボランティアでピエロに扮し、病気の子供たちや老人を笑わせ、元気づけてまわるこの男を、隣人は愛し尊敬しないわけにはいかなかった。
 しかしその裏で彼はせっせと「自分の、ほんとうの愉しみ」を開拓していた。それは少年を道で拾っては犯し、拷問し、殺すことだった。ゲイシーは妻に「忙しすぎて、きみに割いてあげられる時間も精力もない」と言った。結婚生活は、破綻した。

 36歳のとき、警察が彼の家宅捜査に踏みきった。床下のはね上げ戸を持ち上げた途端、恐るべき悪臭と腐敗性のガスが吹きだした。捜査員は当初、ポンプでこの水を汲みあげようとしたが、屍蝋のせいでひっきりなしにホースが詰まったため、彼らはしまいにこれをバケツで一杯ずつ汲みあげなくてはならなかった。
 遺体の発見がイコール立件であった。彼は立件できた被害者数では全米一のレコード保持者となった。
 ゲイシーは死刑を宣告された。独房内での彼の愉しみは油絵をたしなむことで、その絵のほとんどが、ピエロのポゴの扮装をした自画像だった。

 余談だが、彼はスティーヴン・キング「IT」の、悪の象徴であるピエロのモデルにもなっている。

 


◆レオポルド&レーブ

 

 1924年当時、ネイサン・レオポルドとリチャード・レーブはともに法科を専攻する大学生だった。裕福な家庭に生まれ、知能が高く、美貌でもあった彼らは当然のことながら高慢で、退屈しきっていた。
 恋人同士だった彼らはニーチェの「超人思想」にかぶれ、自分たちこそが法や道徳を越えた存在であると信じこんだ。2人は完全犯罪に挑戦しようとして??当然、愚鈍な警察に負けるわけがないと思っていた??ひとりの少年を殺した。
 彼らは少年の家へ身代金要求の電話をした。だが金を受け取る前に、少年の遺体が発見されてしまった。

 2人は死刑こそまぬがれたものの、90年以上の懲役を言い渡された。ところで彼らが逮捕されたきっかけは、「落し物」であった。レオポルドは少年の死体のすぐそばに愛用の眼鏡を落としていってしまったのである。「超人」とうぬぼれたにしては、なんとも間の抜けた話であった。

 


◆ディーン・コルル

 

 コルルは地元では好青年で知られていた。母親が経営していたキャンディ・ストアの余ったキャンディを、子供たちに気前よく配ることでも有名で、礼儀正しく、身だしなみもよかった。
 しかしその仮面の裏で、コルルは退屈した若者を「マリファナ・パーティをしよう」と言って誘いこみ、トルエンを吸わせていた。薬剤でふらふらになった少年たちを待ち受けるのはもちろん、性的拷問と殺人だった。彼はふたりの少年(ともに彼の恋人だった)を手先に使い、獲物探しは主に彼らにさせていた。
 しかしコルルはその手先の少年のひとりに射殺されて死んだ。コルルの被害者は、少なくとも27人ということになっている。

 


◆デニス・ニールセン

 

 ロンドンのあるフラットでは、トイレが詰まって悪臭がこもり、住民がひどい被害を受けていた。ついに頭にきた住人が、下水溝に腕を突っ込んだ。彼はつかみ出したものを見て息を飲んだ。??それは人間の手首の残骸だった。
 ただちに警察が呼ばれた。

 警察は事情聴取として住民の部屋をまわったが、ある一室の扉をひらいた途端、愕然とした。下水から漂ってきたのとそっくりの悪臭が、その部屋には満ちていた。警部は静かに問うた。
「死体の残りはどこにあるんだい?」
「洋服箪笥の中にある2つのビニール袋の中です。お見せしましょう」
 ニールセンも、落ち着いた態度でこう応じた。
 警部はうなずいて、
「……ところで我々が話しているのは1人分の死体のことかな。それとも2人?」と訊いた。
「いや。15、6人ってとこですかね」
 ニールセンはそれから、一部始終を話しはじめた。

 彼は父親不在の家庭に育った。しかし彼には祖父がおり、彼をこよなく愛してくれた。がその祖父は彼が6歳のとき死んだ。
 ニールセンは葬儀には参加したものの、意味はさっぱりわからなかった。母親は彼に「おじいちゃんは眠ってるのよ」と説明した。彼は祖父が帰ってくるのをひたすら待ちわび、その果てにようやく、彼の偶像が2度と帰ってこないことを悟った。このときの彼の打ちのめされようは、すさまじいものだった。
 それから数年たって、彼は海で溺れかけた。気がつくと彼は浜辺に全裸で横たわっていた。どうやら浜辺にいた年長の少年が助けてくれたことはわかったが、同時に性的いたずらを受けた形跡も顕著に残っており、自分が汚されたことも知った。
 この2つの事件が、のちの彼の人格を決定したのかもしれない。

 おそらくはトラウマから同性愛に目覚めたニールセンは、ゲイ・バーに夜ごと出没するようになった。そこで相手をあさっては、一夜を過ごすのだ。
 だがこれは彼の真に求めるものではなかった。彼が欲しいのは行きずりの相手ではなく、自分の孤独を埋めてくれる恋人だった。
 パートナーを見つけて同棲したこともあったが、関係はじきに破局した。ニールセンは前にも増して陰鬱になり、殻にとじこもることになる。
 ある夜、彼はバーで見つけた少年を家に連れ帰った。が、ベッドで眠る彼の顔を見ているうち、「このまま帰したら、もう2度と会えなくなる」と思い、発作的に彼を絞め殺した。
 望みどおり、少年は2度と彼の部屋から出ていけなくなった。ニールセンは死体を風呂に入れて着飾り、並んでTVを見たり、椅子に座らせて一緒に食事したりした。
「食卓の向かいに人がいるっていいものじゃないですか」と彼は刑事に供述している。
 死体が腐乱し「限界」にくるまで、彼はこの儀式をたいていの場合やめなかった。

 彼に殺された被害者の数は15名。宣告された刑は終身刑だった。
「できればやめたかった。でもやめることなんかできなかった。だって、僕には他に、なんの幸せも喜びもなかったんだから」。

 


 

HOME