ゲイリー・ヘイドニク
1987年3月24日、アパートの一室の扉を狂ったように叩く黒人女性の姿があった。
部屋の主である男が出てみると、そこには去年の11月以来会っていなかった、ガールフレンドのジョセフィーナ・リヴェラが震えながら立っていた。
しかし何より彼を驚かせたのは、ジョセフィーナがまるで別人のようになってしまっていたことである。彼女は痩せこけ、目ばかりがぎらぎらして傷だらけだった。そして部屋に入れてもらった彼女は、驚くべき話を始める――。
4ヶ月前の11月20日、ジョセフィーナは同棲中のボーイフレンドに「買い物に行ってくる」と言って、家を出た。
しかし実際には、彼女が向かったのはショッピング街ではなく、夜の通りだった。彼女は娼婦で、3人の子供を養わなければならなかったのだ。
やがて彼女に声をかけてくる男があった。男はキャデラックで彼女の脇に乗りつけ、窓から顔を出して「いくらだい」と訊いた。
軽口混じりに値段の交渉をしながら、ジョセフィーナは男を品定めした。白人で身なりは上等、ロレックスの腕時計まで着けている。これは滅多にいない上客だ、と踏んだ彼女は男の車に乗り込んだ。
キャデラックはノース・マーシャル通りの彼の自宅の前で止まった。
ジョセフィーナと男はそこでセックスし、事が済むと、彼女は服を着て出ていこうとした。男が豹変したのは、その時である。
男は彼女の首を鷲掴み、ぐいぐいと絞めつけた。ジョセフィーナは悶絶し、気絶寸前にまで追い込まれた。
朦朧とした意識がやっとはっきりした時、彼女はすでに地下室へと引きずって行かれている最中であった。ジョセフィーナは手錠と足枷をはめられ、鎖を地下室の下水管に繋がれた。
男がコンクリートの床に穴を掘るのを見て、彼女はきっとそこが自分の墓穴になるのに違いない、と思って泣いたが、男は優しいとも言える口調で、
「これは、お前が逆らった時のお仕置き用さ。僕に反抗しなければ、ひどいことはしやしないよ」
と請け合った。
そして男は、こうも言った。
「僕が何より欲しいのは家族なんだ。白人女に興味はない。黒人の女を沢山――そうだな、10人くらい集めて、子供を産ませたい。きっと素敵な大家族になる」。
彼が語ったところによると、彼は以前にも黒人女性と結婚しており子供もいたが、妻の姉を強姦した罪で投獄されたのだという。しかしそれはでっち上げで、実に不公平な裁判だった、と彼は言った。妻の妹と自分は自由恋愛をしていたのであり、裁判にかけられるいわれなどまったくなかったのだ、と。
しかし彼の言葉の端々から、彼の元妻はどうやら精神薄弱者であり、妻の姉は精神病患者であったらしいことがうっすらと知れ、ジョセフィーナは背筋が寒くなった。
男はさらに、吐き捨てるようにこう言った。
「社会は、僕に借りがある。僕に妻と家族を与える義務があるんだ」
そしてゆっくりとジョセフィーナを振り返り、彼は笑った。
「僕たちは、幸せなひとつの家族になるんだ」
男の名はゲイリー・ヘイドニク。43歳で、新興宗教の司祭であった。
監禁初日、ジョセフィーナは何度もヘイドニクに強姦され、オーラル・セックスを強要された。ヘイドニクが地下室を去ってから彼女は窓に打ちつけられた板をなんとか剥がし、声を限りに助けを求めた。しかしその悲鳴は近隣の住民には無視された。
代わりに下りてきたのはヘイドニクで、彼女はさんざんぶちのめされたあと、掘ってあった例の穴へ放り込まれた。彼はラジオのヴォリュームをいっぱいに上げて出ていった。もう彼女がどんな大声でわめこうが、その大音量でかき消されて外へは届かないに違いなかった。
3日後、2人目の囚人が地下室に加えられた。
彼女はサンドラ・リンジーという24歳の黒人で、精神遅滞の気味があった。またヘイドニクとは何年もの間付き合いがあり、彼の子供を妊ったことすらある女であった。彼女が内緒で堕胎手術を受けたことがわかるとヘイドニクは烈火のごとく怒り、彼女を叩き出したが、自分の子供を今度こそ産ませようと思いなおし、拉致してきたのである。
サンドラは元恋人であるヘイドニクがなぜこんなひどいことをするのか、いまひとつぴんときていないようであった。
ヘイドニクはさらに次々と女性を地下室へ送り込んできた。
そのすべてが黒人であり、ほとんどが売春婦だった。彼女達はジョセフィーナと同じように手錠と足枷で拘束され、鎖で繋がれた。
地下室は底冷えのする寒さで、裸電球が吊るされているだけであった。食事は水とドッグフードとパンのみ。そして毎日毎日、ヘイドニクに犯され、鞭打たれ、口で彼に奉仕しなくてはならなかった。
3月末には、地下室の「捕虜」たちは、6人になっていた。
彼女達はヘイドニクの性欲だけでなく、彼のサディスティックな支配欲をまで満たさせられる羽目になった。
ヘイドニクは誰がもっとも自分に従順で忠実か、はたまた誰が一番陰で反抗的となるかを知りたがった。彼は女達に告げ口を奨励し、時にはお互いを殴り合わせた。
彼はしばしば外出するふりをしては、その隙に女達の誰が救いを求めて声を上げようとするかを、隠れてこっそり観察した。そしてその罠にかかり、誰かが叫び出すとすぐさま下りていって、その女を殴った。
たとえ救いの手が訪れてもその声が聞こえないよう、彼は女達の耳にドライバーをねじ込み、鼓膜を損傷させもした。また、金属製の手錠や足枷に電流を流し、女達が気絶するまで痛めつけた。
2月初め、懲罰用の穴から這い出ようとした罪で、サンドラが拷問を受ける。ヘイドニクは彼女の両手を縛って天井から吊り下げ、8時間に渡って放置した。
サンドラは嘔吐し、気を失った。ヘイドニクが鎖をはずすと彼女は落下し、コンクリートの床に頭を打ち付けた。ぴくりとも動かなくなったサンドラを見て、女達は怯えた。
しかしヘイドニクはその生死を彼女達には知らせず、ただその体を階上へ運んでいっただけであった。
その後、何時間もの間、階上からはチェーンソーが何か硬いものを砕く音が聞こえ続けた。凄まじい悪臭がヘイドニク宅を覆いつくし、臭気はしばらくの間染みついて取れなかった。
あとでわかったことだが、サンドラの死体は大半が挽肉機にかけられ、頭部は片手鍋で煮て処分された。ミンチは捕虜たちの常食であるドッグフードの中に混ぜられ、「食費を浮かせる」のに役立った。
この頃にはジョセフィーナは「模範囚」とのお墨付きをヘイドニクから得るようになっている。彼女はヘイドニクと食事をともにすることを許され、女達のリーダー格として、他の捕虜たちに規律を守らせる役目を命じられていた。
3月、ヘイドニクはジョセフィーナを除いた残りの女達を、水を満たした穴に投げ込み、裸電球と電線を使って電気ショックによる拷問を行なった。電線がデボラ・ダドリーという23歳の捕虜の鎖に触れ、彼女は即死した。
だがジョセフィーナはこの恐怖の生活の中で、着実にヘイドニクの信用を勝ち取っていった。
2人の捕虜が死んだので、ヘイドニクは新たな犠牲者を探しにキャデラックで街へ出た。その時にも、ジョセフィーナを同行し協力させている。
3月22日、デボラ・ダドリーの死体を公園に埋めに行った際も、ヘイドニクはジョセフィーナを連れていった。その帰り道、新聞で株式市場を冷静にチェックする彼を見て、ジョセフィーナは目の前にいるのが一種の怪物であることを改めて思い知った。
24日、ジョセフィーナはヘイドニクに、
「もうそろそろ、完全に信用してくれてもいいでしょう。私はここから絶対に逃げやしないわ。だってもう、あなたの共犯になってしまったんですものね。だからせめて、一目でいいから子供に会わせて」
と頼み込んだ。
自らも子供に執着していたヘイドニクはこの言い分に共感したらしく、彼女をキャデラックに乗せ、かつてジョセフィーナを「拾った」のと同じ地点で下ろしてやった。
角を曲がってヘイドニクの車が見えなくなるや否や、ジョセフィーナはボーイフレンドのアパートに駆け込んだ。
四ヶ月ぶりに会う彼はジョセフィーナの変わりように仰天し、その話す内容のあまりの突飛さに、麻薬でラリっているのだと勘違いした。しかし最後には彼女の言葉を信じ、警察へ通報する。
やってきた警察も、最初は半信半疑だったが、彼女の手足に付いた拘束具の擦過傷を見て調べてみる気になった。
警察は令状を取り、早朝5時にヘイドニク宅へ踏み込んだ。
捜査員は地下室で、裸にされ、配水管に鎖でつながれたふたりの黒人女性を見つけた。ふたりは最初のうちこれを「また、あいつのゲーム」だと思っていた。ここで助けを求めて泣きわめいたりしたら、また叩きのめされるだけなのだ、と。
しかし、それが本当の警察だと知ると、ふたりは泣きながら彼らの手に感謝のキスをした。
「きみらの他にはいないかね?」
「そこよ、穴の中にいるわ」
床板をどかすと、もうひとりの黒人女性がまるくなってうずくまっていた。彼女は衰弱がひどく、穴から出るにも捜査員に引き上げてもらわねばならなかった。また、錯乱しかけており、彼らを見た途端悲鳴をあげはじめた。
「だいじょうぶよ、この人たちは警察よ。助かったのよ」
ふたりがそう言ってなだめても、彼女は悲鳴をあげつづけた。女性たちはみな脱水症状を起こしており、ひどい栄養失調だった。
おりしもその時、屋内の捜索にかかろうとキッチンに足を踏み入れた捜査員が、呆然として立ち尽くしている最中であった。
ジョセフィーナの話が誇張ではなかったことを、ようやく警察は思い知った。床のビニール袋には掌のない2本の前腕、一本の上腕が詰められていた。また、腿の一部が冷蔵庫から発見された。
オーブンの中には調理済みの人肉や内臓があり、炭化した骨片が転がっていた。さらに庭の犬がかじっていたのは、人の脚の骨であった。
ゲイリー・ヘイドニクは1943年、クリーブランドで生まれた。母親は飲んだくれで、父親は粗暴な男だったという。
ヘイドニクが2歳の時、両親が離婚。のちに実母は自分が癌にかかっていることを知り、自殺する。父はじきに再婚したが、継母は新しい子供達に愛情を示さず、父親もまた彼らにつらくあたった。
少年時代のヘイドニクは孤独で、愛情に恵まれず、内気だった。また木から落ちた時の怪我のせいで頭蓋が歪み、へこんでいたので、周りの子供達に「フットボール頭」と呼ばれ、からかわれ続けた。ちなみに連続殺人者の経歴に、頭部打撲による脳損傷が頻繁にみられるのは有名な話である。
多くの殺人者がそうであったように、彼もまた夜尿症であり、過度の空想癖があった。父親は彼が寝小便をするたび、窓からシーツを垂らして見世物にした挙句、恥をかかせたと言って殴った。
ちなみにこの父親は息子の逮捕後、報道陣に向かって、
「あいつはクズだ。縛り首で当然だな。なんなら俺が縄をひっぱってやってもいい」
と大声でわめいたという。
またこの父親は徹底した人種差別者でもあった。離婚した妻が黒人男性と浮気していたことがそれに拍車をかけ、後年には、
「黒人どもの命には紙きれ一枚の価値もない」
と言い切るまでになった。ヘイドニクはこの差別感をそっくり受け継いで成長した。
ヘイドニクは高校中退後、陸軍に入ったが精神分裂病と診断され、14ヶ月で除隊した。
彼のIQは130と高かったが、およそ社会適応力というものに欠けており、病的であった。彼は職を転々とし、すくなくとも精神病院に21回入院し、13回自殺未遂をはかっている。
1971年、彼は自分で教会を興し、その教会名で口座をひらき、株で大もうけした。
大金持ちになった彼は、精神薄弱の黒人女性に子供を生ませ、またその妹(ジョセフィーナが察した通り、精神障害者だった)を拉致し、監禁して強姦した。彼はこの罪で四年服役したが、保釈されている。
その後、フィリピン人女性と結婚したが、浮気癖と、異常な性行為を強要したせいですぐに逃げられた。
ヘイドニクが「ハーレム建設」を決心し取り掛かりはじめたのは、この年の冬のことである。
愛情を受けず、ののしられて育ったヘイドニクは自己評価の低い人間に育った。彼が自信をもって接することのできる女とは、彼よりあきらかに「劣った」存在でなければならなかった。さらに父親の極端な人種差別主義がそれを助長させた。彼が黒人や東洋女性にしか興味を持てなかったのは、おそらくそのためである。
彼は教会を持ち、自分に権威を与えた。金持ちにもなった。しかし妻は逃げていった――。
これ以上女に去られないようにするのはどうしたらいいか? 鎖でつなぐしかない。そして支配するしかないのだった。そうでなければ、自分のような男のもとになど誰もいてくれるわけがない。これが彼の頭にあった唯一の結論だった。
1988年6月、フィラデルフィアでゲイリー・ヘイドニクの裁判が開始された。
弁護側は当然のことながらヘイドニクの精神異常を主張し、精神科医を呼んで証言させた。彼はヘイドニクについて、
「成人の頭脳と、生後わずか17ヶ月の赤ん坊の頭脳とが同居している状態であり、このきわめて幼児的な部分が彼をして誘拐・監禁・強姦という犯罪に走らせたと思われる」
と述べ、間違いなく精神異常であると断言した。
しかしその一方で、弁護側は皆わかっていたのだ。どんなに精神医学上の証拠を積み上げ、論理的に証明してみせたとしても、陪審はその意見を採用しはしないだろう、と。
目の前にいるこのゲーリー・ヘイドニクという男は、死刑に値するか否か? 陪審は応、とするに決まっていた。裁判がすすみ彼の所業が明らかになるにつれ、「健全な市民」ならば10人中8人がそう判断するだろう。
果たして彼らの予想は当たっていた。
ヘイドニクが六人の女性を監禁し、うち2人を殺害した上、ひとりを解体してほかの女性達に食わせたと聞き、陪審員は顔色を変えた。
生き残った女性達は証言台に立ち、4ヶ月の間、自分たちが風呂にも入れず髪も洗えず、ただひたすら犯され、殴られ拷問されるだけの日々を送ったことを語った。
サンドラが死んでからしばらく悪臭が漂っていたこと。毎日与えられるドッグフードからもそれとまったく同じ悪臭がしたこと。女同士で無理に殴り合いをさせられたこと。電気ショックによる拷問を与えられたこと。鍋に入ったサンドラの頭部を見せられ、おとなしくしないとお前もこうなる、と脅されたこと――。
1988年7月1日、ヘイドニクは第一級殺人2件を含む18の訴因で有罪と判定され、翌日、サンドラ殺害の罪で死刑判決を受けた。そして3ヵ月後、ダドリー殺害の罪でもう一度死刑を言い渡されることになる。
余談ではあるが、ヘイドニクの実父はマスコミに「この判決について、どう思われますか」と訊かれ、
「どうでもいい、少しも気にならんよ」
と答えたという。
黒奴美人は半開きの戸棚です
中には濡れた珊瑚がしまってある
――ジャン・コクトー――