ジェフリー・ダーマー

 

 

恋人よ、思いいでよ かの夏のさやけき朝
我ら見たりし かのものを。
小路のとある曲がり角、醜悪さのかぎりの腐肉
砂利のしとねに まろびありしよ。

         ――シャルル・ボードレエル『腐肉』より

 


 

「ミルウォーキーの怪物」ことジェフリー・ダーマーは、1960年5月21日に生を受けた。


 父親は当時大学院生だったがのちに科学者として博士号を得ている。妻は専業主婦。
 6年後には次男のデヴィッドが生まれている。居住区は泉と静かな森のある理想的な場所で、まさに申しぶんのない環境に思えた――少なくとも、傍目には。

 ダーマーの父、ライオネルは『息子ジェフリー・ダーマーとの日々』という著書において、
「この悪の根はわれわれ両親が知らず知らずのうちに、誕生の際にひき継いでしまったものなのか?」
という嘆きの一文を書いている。
 この著作によると、ダーマーはいかなる肉体的、性的虐待も受けていないという。だがはからずも筆者がこの父親の「痛恨の書」とやらから感じとれたのは、彼の奇妙によそよそしい息子とのスタンスのとりかたと、どうやら彼自身がそれにうっすら気づいていながらも、目を背け続けていたらしいという気配である。
 妙なたとえだが、日本で幼女連続殺人を犯した宮崎勤の父親にすこし似たものを感じたのだ。
 宮崎の父は、宮崎が祖父の葬式の際、テープにとった愛犬の声を鳴らすのだと言って聞かなかったというあきらかな奇行について、
「『少し変わってるな』と思いました」
 と他人事のように述べたことがあったが、ライオネルの著作にも、全篇においてそのような突き放した雰囲気が感じられるのだ。
(が、ライオネル自身、ひかえめにそのことを著作内で認めてはいる。自分は「典型的な理系人間」であり、理詰めでしかものが考えられず、人情の機微に疎いところがある、と。)


 ともかく、ダーマー家の内部は穏当と呼ぶには程遠かった。
 ダーマーの母ジョイスはあきらかに境界線型の人格異常の気味があり、神経症だった。
 彼女の実父はアルコール中毒で家庭内暴君であり、ジョイスはいわゆる「アダルト・チルドレン」として育ったらしい。そして自らも、まだ子供と言っていい年齢で妊娠し、出産することになる。
 さらに夫も我が子も、少しも彼女の人生への慰めにならなかったばかりか、かえって彼女を苦しめた。
 ジョイスは隣人の発するどんな些細な物音にも耐えられず、その結果不眠に陥り、挙句に筋肉痙攣の発作を起こした。発作の間彼女は全身の筋肉を強張らせ、よだれをたらし、口からは泡を吹いていたという。
 医師は妊娠中の彼女にバルビツールやモルヒネを注射し、鎮静剤を投与した。最終的にジョイスは、1日に26錠もの錠剤を飲んでいたらしい。そんな毎日の末に、ジェフリー・ライオネル・ダーマーは誕生した。
 ジョイスは生まれたばかりのジェフに授乳させることを拒み、ベビーベッドにすらほとんど近づかなかった。
 幼いジェフはそんな両親の空気を感じ取ったのか病気がちな子で、父の言葉を借りれば
「ほぼ毎週、耳と喉の炎症にかかり、一晩中泣いていた」
 という。
 ジョイスはジェフが6歳のときふたたび妊娠したが、このときも彼女は薬漬けになり、1日中家に引きこもった。そのせいで、一家はほとんど隣人との人付き合いができなかった。
 そしてこの両親の不仲は年々ひどいものになり、しまいには家の中を二分して住み分けるという異常な事態にまで発展する。境界線には父親がヒモを張り、そこに吊るされたいくつもの鍵が妻の越境を告げた。

 四方八方にヒモの張りめぐらされた家で、ダーマーは自分の居場所を探しつづけた。
 しかし結局、そんな場所はなかったのである。

 彼が高校を卒業する前に、すでに彼はひとりぼっちだった。父親は家を出てモーテル住まい、母は弟を連れてウィスコンシンに去っていた。
 しかしそんな未来は、幼いときから彼にとっては必然と言えるものだったろう。彼は他の連続殺人者がそうであるように早くから死に魅入られ、妄想にふけり、動物虐待を犯している。
 10歳前後の彼のお気に入りは、屍骸のコレクションだった。彼は近くの森に行っては、ほかの子供たちのように獲物を追うこともなく屍骸を持ち帰り、骨を瓶に入れて収集した。
 また、死んだ犬を見つけたときは、死体から首と四肢を切断して、首は棒に刺して家の近くに飾っておいた。これは同じくシリアル・キラーであったE・ケンパーの幼児期の行動と共通するものがある。

 

 10代半ばにして、ダーマーは酒の味を覚えたらしい。授業中にコーヒー用の紙コップでウイスキーを飲んでいることがよくあった、という。だが誰もそのことについては何も言わなかった
 ダーマーには友人が少なく、ひとりでいても平気なようだった。だがそうかと思えば注目を集めるための奇行もしばしば行なった。
 ほろ酔いで商店街をうろつき通行人に喧嘩をふっかけたり、癲癇の発作を起こしたふりをしたり、(これは、彼の母親がしばしば起こした癲癇様発作を真似たものと思われる)他のクラスの卒業写真にちゃっかり並んで写ったりした。
 そんなダーマーを快活とみる者もいたが、たいていの仲間は彼を「厄介な、子供っぽいやつ」だと思っていた。しかしそんな仮面の下で、ダーマーは己の中にひそむ性癖に気づき、悩みはじめていた。

 それは彼が、同性愛者だということである。
 しかし(これもまた、奇しくもケンパーと同じように)、彼は生きた相手が自分を相手にしてくれることなど有り得ないと思っていた。
 彼は15歳のとき、家の前をジョギングしていく少年に恋をした。
 しかし告白する勇気などあるはずもなく、植え込みにバットを持って隠れ、彼を殴って森へ連れ込みレイプする計画までたてた。しかし勇気が出ず、それは実行されなかった。

 ダーマーの理想の恋人とは、「すっかりおとなしくなって、もう二度と自分のそばを離れていかない存在」だった。
 彼にはそんな相手は、両親を含めて今までひとりもいなかったのである。

 以下は子供の頃の彼を知る女性の証言だ。
「子供の頃からジェフは、なにもかもに怒ってたわ。世の中全部イカサマだって、いつも言ってたもの。大きくなってから彼はゲイになったそうだけど、彼は自分自身も憎んでたんじゃないかしら。問題はなにかずっと深いところにあって――ジェフにもどうにもならなかったんじゃないかって思うの」

 高知能とがっしりした体躯、長身。しかし半ばアル中で奇行癖のある孤独な、同性愛の少年。それがティーンエイジャーの、ジェフリー・ダーマーだった。
 彼はせめて人並みの真似をしようと、卒業パーティに女の子をエスコートして現われた。しかしすぐに耐えられなくなり、彼女を会場に置き去りにしたまま、ファーストフード店に逃げこんだ。
 その高校は裕福な家の子が多かったので、卒業プレゼントは車や、ヨーロッパ旅行などといったものが一般的だった。
 しかしダーマーのもとには両親から花ひとつ、カードひとつ届けられなかった。
 その時点で彼の家には、彼以外は誰もいなかった。文無し同然で、食料は底を尽き、冷蔵庫は壊れていた。
 卒業から半月、ダーマーはまったくのひとりぼっちで過ごした。

 ダーマーのトラウマの源泉については、謎がありすぎる。
 万引きで少年院に入っている際、黒人の少年にレイプされたという説もあれば、成人後、ゲイ・バーで誘われ、自分が被害者たちに行なったのとまったく同じことをされそうになり、命からがら逃げ帰ったという説もある。
 また、父親ライオネルに性的虐待を受けたことを匂わす発言も、ダーマーはしているようだ。
 彼自身の証言によると、
「父は面白くないことがあると、俺に恥ずかしい真似をさせた。……具体的には言えない。思い出すだけでもヘドが出る。でもこれだけは言える、親父は俺を人間としてではなく、バイブレーターとして使いやがった」。

 もちろんライオネルはこれを否定しており、なにが真実なのかはもう、わからない。


 ダーマーは有色人種ばかりを獲物として狙った。
 たいていのシリアル・キラーは被害者に同人種を選ぶのが常であるから、これは珍しいケースと言える。
 同じく黒人ばかりを毒牙にかけたゲイリー・ヘイドニクは、人種差別者の父親のもとで萎縮して育ち、自分のような者には、まともな白人女性は見向きもするまい、と考えた。だが黒人女性を自らの魅力で虜にしておく自信もなかった。その結果、6人の黒人女性が監禁され、そのうち2人が惨殺されたのである。

 ダーマーもまた、自己評価のひどく低い人間だった。実際には父親ゆずりの高知能、背は高く偉丈夫で、容貌はかなりハンサムだった。それでも彼はつねに思っていたのだ。自分のそばにいてくれる人など誰もいやしない、そしてそれは自分のせいなのだ――と。
 父ライオネルはインテリであり、ヘイドニクの父のような露骨な人種差別主義者だったとは思えない。だが残念ながら、白人のカラードに対する蔑視は、限りなくゼロに近づくことこそあれ、完全にゼロになることなど有り得ない、というのが現実だ。
 ダーマーは女性(母?)を恐れ、白人男性(父?)を恐れていた。どちらも彼に安らぎを与える存在ではありえなかったし、代償なしにそばにいてくれると信じられる相手でもなかった。
 ともかく、ダーマーのターゲットは最後まで有色人種の男性に限られていた。

 高校を卒業したダーマーはオハイオ州立大学にすすんだが、彼にはもはや学業より、酒代を稼ぐことのほうが重要だった。
 彼はてっとり早く金を稼ぐため、血を売った。ぐでんぐでんになるまで酔っ払い、そのくせ偏執的に、空き瓶や空き缶を丁寧に部屋に並べた。彼以外は誰もいない部屋に。

 彼は自室にこもって同性愛専門のポルノ雑誌を読み、オジー・オズボーンを聴き、浴びるように酒を飲んだ。
 だが入学前に、すでに彼は一件の殺人を犯していた。
 1978年7月、コンサートの帰りに、彼はヒッチハイカーの若者を拾った。年齢はダーマーと同い年で、すらりと筋肉質な彼好みの青年だった。
 ふたりは同じコンサートからの帰りで、音楽の趣味も一致したし、何よりビールをしこたま飲ませてくれるというダーマーの申し出は魅力だった。彼は誰もいないダーマー家へと誘われるがままに入り、一ダースほどのビールを空にした。
 だがそのうち、彼は「今日は父親のバースデイ・パーティなんだ。せめて日が変わる前に帰らなきゃ」と言い出した。

 なかば衝動的にダーマーはその後頭部をバーベルで殴った。
 足もとに転がる死体を見て、はじめてダーマーは悟った。自分がいままであれほど求めていたものが何なのか。もの言わぬ、彼を嘲ることもなければ二度と離れていくこともない存在――。
 ダーマーは彼の死体を犯し、腹部をハンティング・ナイフで切り裂いた。そして床いっぱいに広がった彼のなま温かい内臓の上をごろごろ転がって、胎児のように体を丸め満足した。
 しかし正気に戻ってみると、いつまでもこうしているわけにはいかないことは明白だった。
 かけがえのない体ではあったが、やむなくダーマーは死体を解体し、ゴミ袋に詰めた。だが頭蓋骨だけは自室に大切にとっておいた。彼を思い出すよすがとして、という意味でも。

 殺人の記憶を抱いたままダーマーはますます酒浸りになり、壁に並ぶ空き瓶と空き缶を増やしつづけた。
 12月、ダーマーは放校処分となった。
 彼が大学を退学になってはじめて、父親は彼の行状に気づいた。とにかく息子をなんとかしなくては、そう思い、彼はダーマーに軍への入隊を強制した。軍隊なら息子の性根を叩き直し、規律ある生活を送らせることができると考えたのだろう。
 しかし、やはりダーマーはここでも周囲になじめなかった。きつい任務に酒量は増え、かえって妄想の世界へと深く彼をのめりこませた。
 1981年、アルコール依存のため任務不適格として、ダーマーは除隊処分となった。
 ただこの当時同僚だった男が、ひとつの興味深い証言をしている。
「やつの酒の飲み方は異常だった。気を失うまで、飲むのをやめないんだ、ほどほどってことがなかった。それと、普段無口で家族の話なんかしやしなかったが、酔うと親父さんの話ばかりだったな。――よっぽど恋しかったんじゃないかね」。

 除隊したダーマーはフロリダをふらふらするが、やがて父(もう彼は再婚していた)が、戻ってこいと言ったのでオハイオに戻ることにした。
 しかし彼は酒をやめず、時にバス停留所で泥酔しきって逮捕され、またある時には露出狂の真似ごとをして、これもまた逮捕された。父親は再婚相手との新居に彼を引き取る気はなく、ダーマーを祖母の家に預けることにした。
 祖母は愛情深い人で、ダーマーもそれは承知していた。
 彼はウィスコンシンで就職し、教会に通いはじめ、祖母のために庭にバラを植えた。
 だがそういった清い生活が彼の妄想を抑え得たかといえば、もちろんそんなことはなかった。空想の中では彼は全能の帝王だった。それから醒めれば、むなしい負け犬の現実が待っているだけだった。

 1982年、夏、ダーマーは会社の人員削減の対象となり、職を失った。また無為な生活がはじまった。彼は酔って性器を露出し、また逮捕された。
 ほどなくしてダーマーはミルウォーキー市内のゲイ専門ポルノ雑誌店や、ピープ・ショウ、ゲイ・バー、ゲイ専用のサウナなどに通いつめはじめる。1980年代に入って、もはやミルウォーキーでもゲイは珍しいものではなくなっていたのだ。

 いかがわしい店の常連となりながらも、1985年、ようやく彼は再就職する。仕事は単調なもので、チョコレート工場での単純作業である。高IQのダーマーがやる仕事ではない――本来なら。しかしダーマーはもうその仕事をやるしか手だてはなかった。
 夜にはあいかわらずゲイ・スポットをさまよった。一夜きりの恋人と出会っては、疲労して寝入ってしまった相手の鼓動を聞くのがダーマーは好きだった。胸に耳をつけて、彼はいつまでも飽かず心音を聞いていた。
 しかしこのころから彼は、生きた相手からは得られない満足を得ようと四苦八苦しはじめる。
 どこからか男性のマネキンを盗んできてクローゼットに隠し、夜になると愛撫したこともあったが、これは祖母と父親の手によって取りあげられた。これについて、父の後妻だけが、
「ジェフくらいの年頃の男性が、男のマネキンをクローゼットに隠しておくなんて普通のことじゃないわ。具体的にはよくわからないけど、何かがおかしいわよ」
 と指摘した。が、このときも父はそのサインを無視している。
 またダーマーは同時期、墓荒しをしようと思いつめたこともあるようだ。――幸い、実行はできなかったが。

 ダーマーは一計を案じた。まず不眠を訴えて医師から睡眠薬を処方してもらい、それをラムコークに砕いて混ぜ、部屋に連れ込んだ相手に飲ませて意識を失わせる、というものである。
 そしてこれはその後長らく、ダーマーの常套手段となった。

 1987年9月、ダーマーは2人目の犠牲者を屠る。ラムコークに睡眠薬を六錠すりつぶして混ぜ、昏倒したところを殺害したのである。それから死体を祖母の家のフルーツ貯蔵庫に運び、一週間経ってから解体した。
 それから4ヵ月後、彼は14歳の少年を拾った。このときはラムとコーヒーを用いた。少年はあっけなく眠りに落ち、そこからはいつもの手順だった。
 絞め殺したあと交わり、死体はフルーツ貯蔵庫行きになった。ちなみに祖母は当時87歳という高齢で耳も遠く、孫の凶行にはまったく気づかなかったとのちに述べ、警察もこれを了承した。

 1988年3月、被害者は4人目を数えた。彼はおきまりの手順を踏んだのち、頭蓋骨をコレクションに加えた。ダーマーはカクテルの材料を冷蔵庫に欠かさぬよう注意し、絞殺するための革ベルトはすぐ手の届く範囲に置き、解体するための本格的なナイフ一式を揃えた。
 もはや殺人は常習になりつつあった。

 それでもこのころはまだ歯止めが効いていた。好みに合わなければ眠らせて、心臓の音を一晩中聴くだけで解放してしまうこともあったし、少年を裸にして写真を撮るだけで満足したりもしている。

 5人目の被害者が出たのは1989年3月である。間があいたわけは、少年のポルノ写真を撮ったことが発覚し、また前科がひとつ増えたからだ。
 今度の相手はハンサムな黒人でモデル志望だった。ダーマーは写真のモデルになってくれと相手をかきくどき、家に誘い入れた。そこから先はすでに、一連の儀式である。被害者はその魅力的な容貌にもかかわらず首を茹でられ、皮膚と肉を剥がされて、頭蓋骨は綺麗に色を塗られてコレクション入りとなった。
 その後、ダーマーは少年のポルノ写真の一件で翌年3月まで服役する。

 1990年5月、凶行が再開した。6月にはまた写真のモデルになって欲しいとゲイバーで元ダンサーを口説き、家に連れ込んだ。ただしダーマーは約束をたがわず、ちゃんと写真は撮った。もちろん死後、解体してからだったが。
 そして9月に出会った8人目の犠牲者が、またダーマーの嗜好に大きな飛躍を与える。
 彼はハンサムで筋肉質、バネのような体つきをしたダンサーで、まさにダーマーの好みにぴったりだった。喜んで彼は死体のあらゆる写真を撮ったが、その肉体を、被写体にするだけではあまりに惜しいと彼は考えた。

 ダーマーは死体の心臓と上腕二頭筋を肉叩きで叩いて、揚げてステーキソースで食べた。彼によると二頭筋はビーフのような味がしたが、心臓はふわふわしていて味がなかったそうだ。
 彼は被害者を胃におさめてしまうと、これで彼は俺の一部になった、と大きく安堵した。
 同じく9月にまた犠牲者が出、同じ道をたどった。

 1991年2月、ダーマーは新たな犠牲者を屠り、頭蓋骨と両手と性器だけを残してあとは塩酸の樽に放りこんだ。
 3月になって彼に朗報が入る。疎遠だった母が彼に連絡をとってきたのである。ダーマーは喜び、今後も仲よくやっていきたいと切望した。
 しかし時すでに遅し。凶行を止めるきっかけにはもはや成り得なかった。
 彼は4月、19歳の若者を招き入れた。
 ダーマーはこのとき、睡眠薬で深い眠りに落ちている相手を見てふっと思った。
 また殺すのか? 殺してどうなる、死体の切れはしと、写真と頭蓋骨のコレクションが増えるだけじゃないか――それより、ずっと自分のそばにいてくれる理想の恋人(それは彼にとって奴隷と同義だったが)に仕立てあげる手段はないものか?

 ダーマーは彼に稚拙なロボトミー手術をほどこすことにした。小型の電気ドリルで頭蓋の2箇所に穴を開けると、スポイトで酸を注入した。しかし被害者はダーマーの望んだようなゾンビイにはならず、起き上がって頭が痛いと言い出した。ダーマーはがっかりし、結局いつもの手順を踏む。絞め殺してばらばらにし、一部をコレクションに加える、という手順を。


 5月にはふたりが犠牲となった。
 そのうちひとりは、共産ベトナム兵から逃れるためにラオスから亡命してきたばかりの、14歳の少年だった。ダーマーはこの少年にもゾンビイにするためのロボトミーを行なったが、彼がなかなか起きなかったのでダーマーは外にビールを買いに出かけた。
 帰ってみると少年は全裸で、歩道の縁にぼんやり座りこんでいた。慌てて立たせ、自室に連れこもうとしたがまたたく間に人だかりができ、警察が駆けつけてきた。

 だがダーマーはこれを、愛人同士の内輪揉めだと言いくるめることに成功し、警官をなんとか追い帰した。安全になるやいなや、彼はただちに少年を絞め殺した。死体はいつものように処理された。

 6月にはまたひとり、7月にはまたひとり殺された。
 7月の被害者はまだゾンビイを手に入れることを諦めきれないダーマーの手によって、またロボトミーを受けた。今度は酸ではなく、熱湯を頭蓋の穴に注ぎこまれた。すると被害者はいったん起き上がったものの、すぐ昏睡状態に陥り、そのまま息絶えた。

 このころにはもう、彼の部屋には収納スペースがなくなりつつあった。頭蓋骨はずらりと並び、冷蔵庫とフリーザーの中は死体でぎっしり。塩酸の樽は2つに増えていた。異臭はもはや隠しようがないほどで、近隣からは苦情があふれかえった。
 そしてダーマーが現実に適応していくことも、不可能になりつつあった。仕事は解雇され、家賃は滞納するばかりで払う見込みもなく、8月になれば追い出されることがすでに決まっていた。
 それでもダーマーは殺人をやめなかった。もはや毎週の行事といってもいいほどのハイペースさで、彼はせっせと犠牲者を屠りつづけた。
 7月中に彼はふたりを殺した。犠牲者は17人にまで膨れあがっていた。
 しかし彼にも、ついに運命の日はやって来た。

 1991年7月22日、18人目の犠牲者になるはずだった男が、手錠をはめられ、半裸のままダーマーのアパートから逃走した。睡眠薬入りのラムコークを、彼は昏睡するほど飲まなかったのだ。
 パトロール中の巡査が、手錠をぶらさげた彼をてっきり収監所から脱走してきた囚人と勘違いして、問いただした。
 男はたった今狂人の手から逃れてきたところだ、とわめき、警官は不審に思いながらも案内されるがままに「狂人」とやらのいるらしいアパートへと向かった。

 ドアをノックすると、ブロンドのハンサムな男が顔を出した。しかしその背後からは猛烈な悪臭が漂ってきた。よく見ると男の肌やただれた目のまわりには典型的な薬物か、アルコール中毒の症状があらわれていた。
 ダーマーは口先だけ抗ったものの、ほとんどすんなりと警官たちを中へ招き入れた。
 が、彼らを迎えたのはむせかえる死臭と、蝿の群だった。
 解体された腐りかけの死体が写った写真の束。冷凍庫にはラップに包まれた生首が3つと心臓がひとつ。塩酸の樽からも半溶解した人間の胴体が三体発見された。床の上は切断された指だらけで、部屋の隅には男性性器が山と詰まれた籠があった。キャビネットには頭蓋骨が7つ。そのうちふたつは丁寧に彩色されていた。

 さらにスープ鍋の中には、ふたつの脳がトマトソースで煮られて浮いていた。ほかの鍋にも、煮溶けた人肉がどろりと入っていた。
 警官が震える手で彼に手錠をかけた瞬間、ダーマーはすこし笑って「ミャア〜オ」と猫の鳴きまねをしてみせた。

 ダーマーは犯行のすべてを認めた。警官たちを招き入れたとき、ほんの少しも隠匿工作を行なわなかったことから見ても、彼がこの破滅の日を予感していたことは間違いなかった。
 7月いっぱいでアパートを追い出されることは決定していたし、居場所を失った彼が、頭蓋骨や死体の詰まった冷蔵庫を荷作りし、一体どこへ行けたというのだろう? どちらにしろもう「おしまい」は目に見えていたのだ。今さら抵抗しても意味のない必然的な結末を、彼は淡々と受け入れた。

 ダーマーの弁護士は精神異常による無罪を申し立て、彼を「ローラー付き蒸気駆動の殺人マシーン」と呼んだ。だが陪審はこれをしりぞけ、すべての件に対して有罪と認めた。
 ジェフリー・ダーマーは16回の終身刑、累計して懲役1070年の刑を受けた。ウィスコンシンでは死刑は廃止されているからである。

 彼は精神異常だったのか、正気だったのか。正気と狂気の境目はどこにあったのか。今となってはもう何もわからない。
 ただダーマーが、当初はただ、自分のそばにずっといてくれる恋人を望んでいただけなのは間違いない。抱擁と愛撫、ぬくもりと心音。相手を昏睡させ、殺してさえもダーマーが被害者たちに求めたのはそれだった。
 彼はほんもののネクロフィリアではなかった。むしろ生きた相手を最後まで切望していたのだが、誰もそばにいてくれそうになかったので、死体を代わりに置くことにしたに過ぎない。

 精神医学博士のロバート・サイモンはこう書いている。
「ダーマーはわれわれに、もっとも大切なセックス器官は脳だということを思い出させてくれた。空想の中で、脳はそれこそ何からでも性的刺激を見つけだすことができる――ダーマーは、被害者の体内の音に興奮した」。

 「ミルウォーキーの怪物」はしかし、刑期をまっとうすることも自身の内部を完全に吐露することもないまま、あっけない最期を迎えた。

 1994年11月28日、コロンビア連邦刑務所内の風呂場で、彼は黒人収監者に殴り殺された。

 


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