エドワード・ゲイン

 

 

「サイコ」や「悪魔のいけにえ」のモデルとしてその名を馳せたエド・ゲインは、まさに
「スター級の怪物」である。あまつさえ彼は1990年代に入ってさえ、「羊たちの沈黙」の
バッファロー・ビルのモデルとして再復活を果たしている。
 
「アメリカン・ドリーム」というフレーズが死語になって最早久しい現代でさえ、ゲインはその
「アメリカン・ナイトメア」ぶりを健在としているのだ。

彼はあらゆる意味での「オリジナル」であり、「イド」であり
「サイコそのもの」だ。

 


 

 

 エドワード・ゲインの姓は、本人いわく実は「ギーン」と発音するものであるらしい。
 しかし彼ほどの立場ともなると「現実」よりも「伝説」的存在のほうが肥大していると言えるから、ここではより広く知られた「エド・ゲイン」で押し通させていただく。

 

 

 

 ゲインの母、オーガスタは狂信的なルター派信者だった。
 彼女はふしだらな女を憎み、性欲と酒に溺れがちな男を憎み、信心深くない人々(彼女は世間のほとんどをそう見なしていた)を嫌悪し、頼りない夫を軽蔑し、いつか自分の手を離れて汚らわしい悪徳にふけるであろう、未来の息子たちを憎んでいた。
 要するに彼女の気に添うものは、神と、自分自身だけだったのだ。

 オーガスタは勤勉で敬虔なルター派の大家族に生まれた。
 彼女の父親は狂信的な人物で、厳しい躾に加え、躊躇無く体罰をおこなった。それを請けて、オーガスタは世の中のはなはだしい悪徳に怒りを燃やしつづけた。彼女にとって人生とは、終わりなき重労働と、徹底した禁欲であった。
 オーガスタは父親そっくりの娘に育った。仮借なく厳格で、独善的で、支配的。融通がきかず、一度たりとも自分の正しさを疑うことがなく、それを他人に押し付けることの是非も、疑うことがなかった。

 夫のジョージと結婚後、ただちにオーガスタは家庭内暴君と化した。
 彼女は人前でも彼を平気で嘲笑い、怠け者とののしった。家の中では彼に命令を下すか、彼を役立たずと嘲笑う以外に口をきいたことはなく、そうでないときは石のように黙りこくっていた。ゲイン家から明るい笑い声や軽口が聞こえてくることは、絶えてなかった。
 酒が入っているときは、ジョージはオーガスタの言葉の鞭に耐えられず、手をあげることもしばしばだった。殴られたオーガスタは床に崩れ落ち、悪態の限りをつきながら泣き叫び、そのあとは正座して一心不乱に夫の死を祈った。
 オーガスタは「子供」という自分の人生への慰めが欲しい一心で、夫をベッドに入れることを許した。
 だが彼女は性行為を心の底から嫌悪していた。たとえ結婚という契約で清められてはいても、それは唾棄すべきことだった。だが彼女はこれを出産のための義務として、歯を食い縛って耐えた。
 結果、彼女はふたりの息子をさずかる。
 本当はオーガスタが望んでいたのは女の子だった。彼女はひどく落胆したが、くじけはしなかった。彼女は恐るべき意志力の持ち主であり、そのときもこう誓うことで絶望を乗り越えた。
 この子たちだけは、よその男どものようにさせはしない、と。
女にみだらな行為を行なう、肉欲に溺れきった堕落したけだものども。あんな奴らのようには、私の子供たちだけは絶対にさせはしない。

 

 



 
 やがてゲイン家は農場をかまえ、腰を落ち着けた。人里離れていたことがさらにオーガスタを満足させた。彼女にとって、もはや外界のすべてが堕落したものであった。
 だがさすがに子供たちを隔絶させたまま育てることはできず、学校にはやらなけらればならない。だがオーガスタは子供たちに友達を作るのを禁止することで、それを乗り越えた。
 2人の息子に向かって、オーガスタは繰り返し外界の悪徳ぶりを説いた。
 特に、短いスカートをはき、口紅を塗った女どもはその筆頭であり、そんな汚らわしいものを彼女の息子たちに近づけるわけにはいかなかった。
 彼女は毎日聖書を読み聞かせたあと、息子たちの手をとって、「決して女たちに汚させたりしない」ことを母の名にかけて誓わせた。自分の性器に向かって唾を吐きかけるよう強要したことさえあったという。そして彼女を崇拝する息子(特に次男)はおとなしくそれに従った。
 エド・ゲインが10代のときすでに、ゲイン農場は周囲には聞こえないほどかすかではあるものの、確かに狂気の煮えたぎるふつふつという音を発しつつあった。


 ゲインの母オーガスタが人格異常であったことは、ほとんど疑いがない。
 彼女は体罰がひんぱんに行なわれる、そらおそろしいほど厳格な一家に育った。だが彼女の人生に満ちていたものは「信仰の光」ではなく、
「悪徳への怒り、軽蔑、憎悪。そして独善」 
 であった。
 叩きこまれた信仰心は彼女を救わず、むしろ呪った。彼女は神という名の枷を、己にはめ続けて生きた。そして、息子にも。

 

 子供というのは失敗を繰り返しながら大きくなっていくものだ。だがオーガスタはどんな些細なことであれ、息子の失態を黙って見過ごすことはしなかった。
「本当にだめな子ね」
 怒鳴りつけられるよりもっと恐ろしい、“失望”の声音で必ず彼女はエドワードにこう言った。
「おまえなんかを愛してやれるのは、この世で母さんだけよ」
 そしてエドはそのたび深い自己嫌悪の底で、心からそれを信じた。

 近隣の子供で、オーガスタが「息子と付き合っていいレベル」と認めた子は一人もいなかった。ゲイン少年が誰かと遊びたい、と母親にそっと言うたび、オーガスタは柳眉を逆立てて反対した。
「あの子の親父は女癖が悪いって噂さ。この子の母親は誰にでも色目をつかうって評判だよ。あんた、そんな家の子と付き合いたいのかい、ああ、あたしが子供をそんな馬鹿に育てあげたって言いたいのかい!」
 声は次第に高くなり、やがて絶叫となる。そのころにはゲイン少年も、母親に再度懇願する気力などまったく失せていた。
 こうして同年代の子とまともにしゃべったこともない「エディー」は、卑猥なジョークを聞くと真っ赤になって逃げ出し、些細なからかいの言葉にも女の子よりたやすく泣き出す子供に成長した。
 またエディーの左瞼には良性腫瘍とおぼしき肉房があったので、これもからかいの種となった。みんなに囲まれて冷やかされると、ゲイン少年は反撃もできず決まってめそめそ泣き出した。
 “残酷な子供たち”に囲まれた少年は、そのひどい仕打ちに遭うたびに、母の言葉の正しさ、全能さを思い知った。
 母の言う通り、外界は意地悪く、堕落しきって邪悪だった。


 

 ゲイン家はオーガスタが君臨すべくして出来上がった場であった。
 オーガスタはつねに家中で一番有能で、強く、王者のように堂々としていた。対照的にいつも卑屈に背をかがめ、頭を垂れている父親と彼女を見比べ、ゲインはいつしか母を神のごとくに崇めはじめるようになった。

 母に逆らうことは、神に対する冒涜に近かった。オーガスタは下の息子にとってほとんど全能の神たり得たのである。
 こうして、ひと一人の人格を完全に破壊し、人生をめちゃめちゃに踏みにじることができたのだから、彼女は確かに有能であったのかもしれない。ただしそれは悪しき才能であった。彼女は決してそうとは認めなかっただろうが、それは紛れもない事実だ。
 オーガスタはゲインを、幼い頃から少しずつ殺していくことに勝利した。

 小学校時代からゲインは奇癖をあらわしはじめている。
 空笑い、虚空を凝視する目つき、独り言。これらは幼くして分裂症になりつつある患者にありがちな症状である。
 またオーガスタは息子たちに男らしくなることを望まず、自分のふるまいを見習わせつづけたので、どうしてもゲイン少年の仕草は女っぽい、なよなよしたものになった。
 さらにオーガスタは息子たちに、
「若い女どもは不潔だ。汚らわしい。堕落していて邪悪なのさ。あんたがたは決して、女たちになんか指一本触れさせちゃいけない。さあ、それをママに誓っておくれ」
 と毎晩しつこく説いた。そして、
「どうしても肉欲に抗えないときは、姦淫よりも自涜の罪のほうを神はお許しになる」
 とまで言った(あきらかに「生めよ殖えよ、地に満ちよ」という聖書の教えに反した言葉である)。
 だが皮肉なことに、これほどの抑圧を受けてさえ、ゲインは同性愛者にはならなかった。彼の欲望は完全に異性に向けられていた。が、オーガスタの支配はあまりに強く、息子たちは二人とも、清い体のまま世を去ることとなる。

 ゲインの兄ヘンリーは42歳のとき、近所の山火事を食い止めようとして死んだ。
 死の直前、ヘンリーは母を非難し、母からエディーを引き離そうと助言していたというが、そのあたりの真偽はさだかではなく、また、その死のいくつかの疑問点も、未解決のままである。
 ただ死体はほとんど焼けておらず、頭部には傷があった。またゲインは、
「兄を火事の最中に見失った」
 と言っておきながら、捜索隊をまっすぐに死体のある場所まで案内した。それを指摘されると、ゲインは事もなげな口調で、
「不思議なこともあるもんだ」
 とだけ言った。
 だがともかくこの一件はうやむやにされ、ゲインがオーガスタのもとを離れることはなかった。

 その後父ジョージは66歳で死に、オーガスタはその4年後、奇しくも同じ66歳で病に倒れた。
 ゲインは母をひとりじめできることに半ば狂喜しながら、せっせと甲斐甲斐しく看病した。ひょっとしたら母がこの献身的な看病に感激し、感謝し、生まれてはじめて優しく抱擁してくれるのではないかという淡い期待を抱いた。
 しかしそれは儚い夢と終わった。母は彼に感謝の言葉など一言も吐かず、リハビリを手伝おうとしたゲインの手をふりはらって、
「あっちへ行くがいい。おまえの助けなぞいるものか」
 と怒鳴った。
 しかしそれでも、ゲインは母がまた元気になれそうなことに安堵した。

 1年後、オーガスタはふたたび発作に倒れた。今度は彼女の岩のような精神力をもってしても、回復は不可能であった。
 1945年、オーガスタ・ゲイン死亡。
 唯一の友と、唯一の愛する人を失ったゲインは、葬儀の席で人目もはばからず棺にとりすがって泣いた。悲しみをこらえることなど不可能だった。彼はひたすら赤ん坊のように泣きじゃくった。

 

 

 オーガスタの死後、エディー・ゲインはひとりきりになった。文字通りの「ひとりきり」であり、完全なる孤独である。
 しかし物静かで行儀良く、決して汚い言葉など使わない働き者のゲインは、隣人たちに嫌われていたわけではなかった。むしろ、収穫時には便利な助っ人としてひっぱりだこだった。
 彼はほとんど「低脳」だと思われていたから、ていよく利用されていたふしもあったが――それでも、決して嫌われていたわけではなかったのだ。
 ゲインは酒も飲まず、男たちと卑猥な話もせず、一年のほとんどを家に閉じこもって暮らしていた。しかしその家は年々荒れる一方で、知らない者が見たら廃屋と見間違えるほどにまでなっていた。
 子供達はゲイン農場とその家を「お化け屋敷」と呼び、日が落ちてからゲイン農場の前を通りかかる時には、屋敷の影が見えなくなるまで全速力で走った。大人たちは皆それを知っていたが、「ガキの時には誰でもよくやったことさ」と、微笑ましくさえ思っていたという。
 近隣の誰の目にも、エド・ゲインはただの、
「ちょっと変わり者の、無害なぼんくら」

 でしかなかった。

 

 

 だがゲインが51歳の初秋。それは唐突に発覚した。
 ことの起こりはプレインフィールドの「なんでも屋」の女主人、バーニス・ウォーデンが行方不明となったことである。
 おそらくは彼女に最後に会った人物として、捜査上に浮かんできた「間抜けのエディー」の家に半信半疑ながらも踏み込んだ捜査官たちは、懐中電灯のスイッチを入れた途端に“それ”を見た。

 鹿肉のように手際よくさばかれ、逆さに吊るされたウォーデン夫人の死体を。

 ウォーデン夫人は断首され、きれいに内蔵を抜かれ、血抜きされていた。それはまさしく“肉”そのものであった。
 しかし彼女の死体越しに見える風景は、さらに警官たちの度肝を抜いた。

 ゲインの家は、ゴミと汚物にまみれていた。広い屋敷の中で、実際に使われていたのはせいぜいが2、3室であった。
 テーブルには頭蓋骨を半分に断ち割ったものがスープ皿として使用され、置かれていた。椅子は、座板に人間のなめした皮が張ってあった。そして同じく人皮を張ったさまざまな小品が見つかった。ランプシェイド、ブレスレット、タムタム太鼓、ナイフの鞘――。
 さらには、女の上半身を丁寧に剥がして作られた乳房付きのベストがあった。女の唇が付いたブラインドの紐があった。女性の乳首で飾りつけられたベルトがあった。
 床の靴箱の中には、女性性器が9つコレクションされていた。ほとんどは乾いて干からびていたが、ひとつはごく新鮮で、恥丘に性器と肛門が付いているのが肉眼でもわかった。しかもそれは塩漬けにされていた。
 切り取られた鼻だけが詰まった箱もあった。オートミールの空き箱には頭皮が突っ込んであった。
 人間の、足の皮膚で作ったレッグウォーマーもあった。だが中でも一番捜査員を慄然とさせたのは、ゲインのマスク・コレクションだった。それらは慎重に女性の死体から皮を剥がされ、オイルを丹念に塗られて表面の滑らかさを保たれていた。うち半分は紙を詰めてふくらまされ、狩りの剥製のようにゲイン家の壁に飾られていた。
 のちに警部補はこれらのゲイン・コレクションについて、
「きわめて良好な保存状態だった」
 と語っている。

 不運な警官たちはゲイン宅をかきまわし、探りまわし、ありとあらゆる「もと、人間だったかけら」を発掘した。
 そうして彼らは、ついに一階の奥の部屋へ突き当たった。厳重に板張りで封じられた、そのドアへと。
 釘が抜かれ、板が外され――そして彼らは見た。真におぞましいものを。

 これほどの不潔きわまりない屋敷の中で、塵ひとつなく清潔に保たれた唯一の部屋。

 そこはオーガスタ・ゲインの部屋であった。

 彼女の生前の状態そのままに、その部屋はゲインの「聖域」として強固に守られ続けていたのだ。
 汚らわしい、ふしだらな女たちの血脂を浴びることなく。

 

 

 

 

 だがゲインはそれらの全てを「殺した」のではなかった。ほとんどの場合彼はただ、彼女たちを「墓から掘り出してきた」だけだった。
 彼が殺したとはっきり認められているのは、ただの2人だけである(そういった意味でゲインはシリアル・キラーではない)。だがその被害者は2人とも、彼の女神であるオーガスタに非常に似ていた。ゲインは取り調べの際、はにかみながらこう答えている。
「目のあたりが重要なんです。特に目が似てないとだめですね」
 さらに母親について深く訊かれたとき、彼はうっすら涙ぐみながらこうも言った。

「母は、この世の誰より特別でした」。

 ゲインは冷血な殺人者のイメージにはほど遠く、捜査には至極協力的で、捜査員の言葉に迎合して「彼らを喜ばそうと」子供のように無邪気だったという。そのため捜査員は誘導尋問にならないよう、質問にはひどく慎重にならざるを得なかった。
 だがそのゲインは、死姦だけは頑として否定した。ただ「女の体の仕組みを知りたかっただけです」と彼は言った。
「女の顔から剥がした皮をかぶったり、乳首付きのベストを着て、皮張りの太鼓を叩いて……でもそれもそう長いことやったわけじゃないです。たったの1、2時間くらいのもんで」。
 そして彼は自分のペニスを切断したいと願ったことがあること、死体から切り取った膣で己のペニスをくるみこんで隠してみたりしたこと、女性の下着を身に着けたことがあること、などをごく控えめに認めた。
 彼は「女」になりたかったのだろうか。
 いや彼は「オーガスタ・ゲイン」になりたかったのだろう。この世で彼の唯一認める、全知全能の存在に。

 

 エド・ゲインはのちに、いろいろな形をとって我々の前に現れた。
『サイコ』では盲愛していた母を 「もう一人の人格」として持つノーマン・ベイツに。
『悪魔のいけにえ』では死体の顔の皮をかぶり、チェーンソーを持って美女を追いまわすレザーフェイスに。
『羊たちの沈黙』では女の乳房つきチョッキで「さなぎから蝶に」なりたがるバッファロー・ビルに。

 だが実際のエディーは、152センチの、猫背の小男に過ぎなかった。容貌はいたって普通。怪物的なところはどこにもなく、左瞼の肉腫を除けば、むしろハンサムの部類といっても良かった。
 知能指数は99と、「平均中の平均値」。
 地元ではつねに「低脳のエディー」「間抜けのエド」であった彼が、この数値を出したことは驚きであった。
 担当した心理学者エルスワースは、
「知性は平均レベル以上。しかし『無能』レベルでしか機能していない。おそらくは長年わずらった感情障害と、エゴの未熟さ、未発達のゆえだ」
 と述べた。

 ゲインは死ぬまで母親オーガスタを崇拝し続けた。彼は墓から「彼女に似た」中年女を掘り起こすことで、母を死から救おうとした。と同時にその死体を解体し、ありとあらゆる損壊を加えることで、彼は復讐をも試みていたのだ。
 彼の一生分の幸福を奪った償いとして。
 だがそれを彼が自覚することは、絶えてなかったのだけれど。

 

 ゲインは「重度の精神病患者」として、刑務所送りにはならず州立中央病院に入れられた。彼はそこでめっきりと太り、心安らかに暮らした。だが68歳になったある日、彼は突如として「正気の申し立て」を始め、周囲を仰天させた。
 もともとゲインはつねに物静かで「模範患者」であった。半信半疑ながらも彼に面接した医師は、彼に諺の解釈をさせた。
「手の中の小鳥は、藪の中の二羽に値する。……この意味は?」
 すると唐突にゲインは笑い出し、こう答えた。
「もし手の中に鳥がいたら、よっぽど気をつけない限り握りつぶしちゃうよ」
 彼は依然として、あきらかに「危険な」狂人だった。

 72歳で、彼は他の病院に移送された。ようやく彼は老いはじめていたのだ。だがそれでもなお、ゲインは「エド・ゲイン」たる力を持っていた。
 移送の一年後、ミルウォーキーで殺人事件が起こった。被害者は86歳の老婆で、殴り殺された後に両目をくり抜かれ、顔の皮膚をなかば剥がされかけていた。逮捕された犯人は警察でこう語った。
「俺は長いこと州立病院にいてさ、そこで同室の親友にいっぱい面白いことを教えてもらったんだ。顔の剥ぎ方とか、死体の刻み方とか――そいつの名前? うん、エディーさ。エディー・ゲインだよ」


 1984年7月。78歳で、ゲインは癌により永眠した。
 彼は「いつか退院して、世界一周する」夢を死ぬ間際まで持っていたという。だが勿論その夢はかなえられず、エドワード・ゲインは病院で息絶えた。
 彼の死体は墓標なしで埋葬されたが、不満はなかったことと思う。

 彼は、愛する母親の墓標のすぐ傍に埋葬されたのだ。

 

 


        世の中に狂ってる人間がいるとしたら、それはこの男だ。

           ――ロバート・E・サットン

 

 

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