いなか、の、じけん

 

この項では「牧歌的な、だが閉鎖的」な田舎で起こった小品ふうの
ケースを集めてみた。だが小品だからといって、つまらない事件というわけではない。

 

 


●加藤キヨ

 昭和11年、ある村で起こった事件である。
 63歳になる三原マサという老女が、頭を鈍器で殴られ死んでいるのが発見された。しかも死体の裾は大きくまくりあげられ、局部がえぐり取られていた。
 ちょうど、前年に「阿部定事件」が起きたばかりのころである。当然のことながら警察は痴情のもつれとみて犯人は男だろうと目星をつけた。
 聞き込みの結果、マサの年齢に似合わぬ男関係の激しさが判明し、捜査員は驚いた。村の長老から、はたちそこそこの若者まで、マサが「手をつけて」いた男は村中で10数人に及んだ。
 ところが事件発覚後、意外な展開が起こる。マサ宅の井戸に、えぐりとられた局部が浮かんだのである。
「保管せず捨てたというなら、これは犯人は男ではないかもしれない」
 捜査員はそう認識を改めた。そんな矢先、マサといさかいを起こしていたという加藤キヨの存在が浮上してきた。キヨは59歳の髪結いだったが、彼女もなかなか男に対しては凄腕で、これもまた村の男10人以上と関係があった。
 ところがあるとき、キヨの情夫のひとりがマサとも関係していることがわかり、激昂したキヨはマサ宅に怒鳴りこんだ。この喧嘩は多くの人が目撃している。
 連行すると、キヨはあっさり自供した。
 キヨは例の男とは、「そんなもん、くれてやる」と啖呵を切り別れたが、さらにもうひとりの男もマサに取られていたことを知ったのである。
 彼女は焼酎を一杯ひっかけて勢いをつけ、マサを訪問した。するとマサは、
「あたしがなにをしようと勝手だろ。男のひとりやふたり、なんだい」
 と鼻で笑った。
 キヨの頭に血がのぼった。彼女は庭石でマサをめちゃくちゃに殴りつけて殺し、包丁で局部を切りとった。それから肉片を井戸に投げ込み、家に帰ったのである。
「こんなものがあるから二人も男を取られたんだ。そう思うと、そこが憎くてたまりませんでした」
 とキヨは自供した。
 63歳と59歳の女の恋のいさかいはこうして、異様なほど残虐な結末を迎えたのである。


●赤毛布の男

 最初に書いておくが、この事件は迷宮入りであり、犯人はわかっていない。
 昭和10年代、福井のある村で、ある小売商の家に夜半10時頃、訪問者があった。本家からの使いです、といって表戸を叩くので、細君が起きて出てみると、赤毛布を頭からすっぽりかぶって、本家の提灯を持った男が軒先に立っている。本家で急病人が出たから、呼んできてくれと頼まれたというのだ。
 急いで亭主はその男とともに家を出ていった。
 本家からその家までは8キロほどある。亭主を送りだしてやった妻は心配しながらも、子供たちを再度寝かしつけて、自分もうとうととした。しかし2、3時間後、また戸を叩く音がした。
 出ていくとまた赤毛布の男である。彼は「病人はとても朝までもたなそうだから、女房も呼んでくれと言われ、迎えに来た」と言った。細君はすわ大変とばかりに、子供と親しい近隣の家にあずけて男とまた一緒に出ていった。
 すると1,2時間たって、今度は子供を頼んだ隣家の戸を叩く者がいる。また赤毛布の男で、顔は見えない。
「両親が、子供も連れてきてくれというので迎えに来た」
 と男は言った。しかしその家の細君は、こんな夜中に子供に風邪をひかせては大変だし、もうぐっすり眠っているから明日にしておくれ、と言った。男は再度頼んだが、彼女は頑として応じなかったので、赤毛布の男は不承不承、帰っていった。

 ところが数日後、この小売商の夫婦は惨殺されて河に投げこまれているのが発見されたのである。
 犯人があの赤毛布であることは明らかである。
 が、物取りにしてはひとりひとり誘い出すなど、念が入りすぎている。また子供まで誘い出して殺そうとしたことなどから考えるに、怨恨としても相当根の深いものだ。
 本家の提灯を持っていた、ということからしてすぐに犯人は割れるものと思われたが、結局何ヶ月たっても犯人の見当はつかず、迷宮入りになってしまった。
 しかし男が終始顔を見せなかったこと、子供だましの嘘でふらふらと夫婦ともども出ていってしまったこと、子供だけは、まるで隣家の細君が護符でもあったかのように守ってみせたことなど、まことに不気味な事件と言っていいだろう。

 

※管理人こと筆者の書いた上記の文章は、中野並助『犯罪の通路』(中公文庫)を資料としたものであるが、佐伯様より『O町百年史』内の描写との食い違いが多いことを教えて頂き、また全文を送って頂きました。
 中野氏の著作との相違等、比較して読むのも一興かと考え、全文はこちらにUP致しました。宜しければ参照お願いします。

 


●岡山・少女串刺し事件

 大正4年に起きた事件である。
 岡山県のある村で、田圃の積みワラの下から少女の惨殺死体が発見された。巡査が駆けつけてみると少女は近隣で飲食店を経営している家の娘で、評判の美少女A子であることがすぐに判明した。
 しかもA子は絞殺された上、その局部には胸にいたるまで深々と太い竹が突き刺さっており、文字どおりの「串刺し」状態だった。
 現場にはA子のものと思われる櫛や下駄が落ちていたが、捜査がすすむにつれ、それはA子の友人であったB子のものだということが判明した。しかもB子は事件発覚後から、行方を断っていた。
 警察がどうにかB子を探し出し、事情聴取したところ、彼女はすっかり観念した様子で自供をはじめた。
 凶行の日、妹をおぶって家の前にいたところ銭湯帰りのA子と出会い、すこし立ち話をした。そのあと家に入って間もなく、A子の悲鳴が聞こえたので慌てて行ってみると、日頃から彼女に言い寄っていたC男(当時18歳)が、A子の細首を絞めており、もはや彼女はぐったりとしていた。
 どうやらC男は今日も彼女にまとわりついたが相手にされず、かっとなって犯行に及んだものらしい。
 仰天したB子が逃げだそうとすると、C男は、
「これをばらしたら、おまえも殺してやる」
 と脅し、B子に服従を誓わせた。それから彼女に、A子の両足を持ち上げるよう命令したのち、C男は最後まで自分の意のままにならなかった憎い局部を竹で深々と刺しつらぬいた。そして、まるで代用品のようにB子を荒々しく凌辱した。
 B子は命からがら家へ逃げ帰り、一部始終を親に話した。恐れおののいた両親は彼女を遠戚に預け、ことなきを得ようとしたのである。
 判決は、C男が無期懲役。B子はいったん共犯とされて予審にかけられたが、免責となり釈放された。

 


●村の秘習・仮一夜事件

 明治16年、ある村の裕福者の家で祝言があげられることになった。奥座敷中央に花婿・花嫁の座が敷かれ、それを挟んで両親や縁者、村の有力者が居並ぶ中でしめやかに三々九度が行なわれた。
 さて、この村には昔から残る奇習があった。
 婚礼の夜にはまず花嫁が婿の父と同衾し、試みが済んだのち、改めて祝言の盃をとり交わす、というもので、これをこの地方では「仮一夜」と呼んでいた。そしてその夜も、それは当然のように行なわれた。
 花嫁が仲人に手を引かれ、しずしずと次の間へ入る。この部屋は屏風がはりめぐらされており、外から中は覗けない。花嫁はここでいったん花嫁衣裳をとき、長襦袢一枚となって「将来の義父」を待つのである。
 義父がその部屋に入っていったのは、午後9時ごろのことだったそうだ。
 いかに風習とはいえ、それをじっと黙って待っている夫の気持ち、また夫にそれと知られていながら義父に身をまかせる娘の気持ちは、われわれ現代人には理解しにくい。
 が、ともかく予定では仮一夜の儀式が終わり次第、父親は衣服を正して席に戻り、花嫁もふたたび白無垢姿に戻って祝言のつづきとなる手はずであった。
 ところがいつまで経っても、ふたりは戻ってこない。
 1時間経ち、2時間経ち――そのころにはまだ、淫らな野次を飛ばす者もおり、酒が入っていたこともあってか心配する者は少なかった。
 しかし午前1時を過ぎ、2時をまわるにあたって、とうとう花婿の堪忍袋の緒が切れた。
 屏風の外から、
「親父ッ、いいかげんにしろ!」
 と怒鳴ったが返事はなく、物音ひとつしない。これは――と思って屏風をとりのけ、中に入ってみると、ふたりとも裸で抱きあったまま、冷たくなっていた。
 外傷はなく、心臓麻痺と思われる。しかしどちらも普段から健康体で、かといって殺人の疑いもなく、結局うやむやのまま事件は片づけられた。
 不思議な事件と言わざるを得ないが、これを機にこの奇習が絶えたという話も聞かないから、かの地ではやはりしばらく、この「仮一夜」はつづけられたのだろう。

 


●阿部定類似事件

 1・昭和18年、出征前夜の娘婿の局部を切断し、身投げした女がいた。当時、42歳。被害者の娘婿は
   25歳、ちなみに娘は19歳だった。
   しかし彼女は救助され、警察ですべてを自白した。
   供述によると酒に酔ったはずみで関係が出来、週に一度は娘の目を盗んで逢瀬を重ねるようになった。
   しかし彼に召集令状が届き、彼女は出征前夜、悶々として眠れず、男のもとを訪ねた。そして激しい
   情交ののち、ふらふらと西洋剃刀を手にとると、眠っている娘婿の下腹部に切りつけた。その後彼女
   は男を殺してしまったと思い込み、河に身を投げたのだが、男は虫の息ながらも生きていた。
   彼はなんとか命はとりとめ縫合手術も成功したということだが、
   「この非常時に何をしておるか」
   と憲兵にはさんざん油を絞られた、ということである。
   ただしこの義母は供述を終えたのち、ふたたび昏睡状態に陥り、そのまま亡くなった。

 2・昭和28年、(この2・3は田舎の事件というわけではないのだが……ここにまとめておきたいのでご勘弁
   を)もと日活女優の宮古世里江が、愛人の局部を切断し、マンホールに投げ捨てたのち、部屋に戻っ
   て呻き苦しむ愛人を介抱している最中、あまりの騒ぎに駆けつけた家主に発見され、逮捕された。
   彼女は将来有望な美人女優だったが男運がなく、はじめの夫は一座の座長だったが経営手腕がなく、
   しかも女癖が悪かったため、すぐ離縁になった。
   彼女は旅館の女中として働くようになり、被害者と知り合う。しかし被害者が親の決めた相手と見合いし、
   結婚するというので絶望した。
   それでも諦めきれず、ずるずる関係をつづけたが、ある夜の情交のあと、
   「おまえさえ良ければ、結婚してからもときどきこうやって会っていいんだよ」
   などと男が言ったので、彼女はかっとなった。馬鹿にするな! という気になり、衝動的に剃刀を持ちだ
   したのだという。
   しかし被害者は「あれを厳罰にしないでください、可哀相な女なのです」
   と病床で述べたらしい。
   結局、事件は不起訴となった。ちなみにこの男の縫合手術は成功しなかったが、その後ほかの女性と
   結婚し、三児をもうけたという。人間の体とは、強靭にできているものだと感嘆せざるを得ない。

 3・昭和38年から39年にかけて、杉並区で11件の傷害・暴行事件が起きた。犯人は都立高校に通う17
   歳の少年で、最初の犯行は彼が高校に合格した日であり、その開放感がきっかけになったという。
   彼の犯行は、男の子をだまして連れ出してはいたずらし、幼い性器を切断してしまうという無残なもの
   だった。
   11件の内わけは、中学生がひとり、あとは小学生か幼稚園児だった。動機は同性愛とサディズムの合
   併したものであるとされた。もちろん未成年であることもあり、厳罰には処されなかった。
   だが公判中、被害者の幼児の父親は、息子のこれからの一生を思い「殺されたほうがいっそマシだっ
   たのでは」と慟哭したという。

 


●堀文左衛門

 明治44年、ある田舎寺に大きな行李が送りつけられてきた。参詣客の持ち物かと思い、寺社側ではしばらく受け取り主を探したが、まる二日半経っても誰も現われないということで、中を開けてみた。
 すると中身は初老の女の死体で、丸坊主にされており、顔は漆で真っ黒に塗りつぶされていた。
 ご丁寧に経帷子を着ており、全身を油紙で包まれた上、戒名と、埋葬料、回向料までもが同封されていた。
 すわ猟奇的な難事件か、と思われたが、蓋をあけてみればなんと、犯人は被害者の亭主、堀文左衛門という門番だった。
 昔から亭主には情婦がいたので夫婦仲は悪かったのだが、ある日喧嘩がヒートアップして、ついに絞め殺してしまったのだという、たわいのない事件であった。
 しかし死体をこうまでして一応は「供養」のかたちにしたがるところなど、やはり世相を反映していると言えるだろう。今なら放り出して朽ち果てるがままにしておくだろうが……わたし個人が被害者ならば、どちらにして欲しいとも言い難いケースである。

 


●ミルクホールの脱獄男

 昭和20年前後の事件らしい。
 芸者を連れて湯治にきていた男が、その女と夜道をぶらぶらしているうち、いきなり女が倒れたので抱き起こしてみると、喉をかき切られてすでに死んでいた。まさに通り魔、である。
 またその数日後、稲荷神社に参詣に出向いた遊郭の女将が、すでに冷たい死体となって境内に倒れていた。しかも局部は大きくえぐり取られ、男女の判別さえ難しいほどだったという。
 これと前後して、ある男の脱獄が知らされた。
 その男はしばらく、精神分裂病者として監禁されていた男だった。看板屋に従事していたがある日、主人の娘をロシアの密偵だと思い込んで惨殺したのである。
 警察はその男の行方を必死に追った。しかし男としては追われているつもりなどないし、密偵の女どもを殺したのだから正義だと思っているわけで、悠悠としたものであった。
 あるときなどミルクホールに入り、えぐり取った肉片を食べ終わりの皿へ乗せ、ナイフとフォークで行儀よく食べていたらしい。通りかかった人は「不思議なものを食べてるな」と思ったそうだが、まさか人間の生肉とは思わない。無視して、通りすぎたそうである。
 彼は野放図に歩きまわった挙句、逮捕されたが、密偵を殺してなにが悪い、と終始威張っていたそうだ。
 そののちもう一度病院を脱走するが今度はすぐ捕らえられ、そのうちに病死したという。

 


●小森義男

 農家の嫁不足は年々深刻化するばかりである。その典型的な一例が、悲劇的な結末を迎えたのがこの事件だといえる。
 昭和49年、結婚式を明日にひかえていたはずの40歳の男性が、県道からすこしはずれた道路上で、頭と顔を鈍器で滅多打ちにされて殺害されているのが発見された。被害者は同村に住む岡山由雄と判明した。彼は本来次男だったが、長男が不慮の事故で半身不随となったため、彼があとを継ぐかたちとなり、事実上の跡取りであった。その彼が40にしてようやく嫁をもらえるというので、一家は安堵と喜びに浮き立っていた。その矢先の殺人である。
 もはや明日の挙式の準備はすべて整っていた。それが急遽葬式になってしまったのである。花嫁はさぞ悲嘆に暮れているだろうと村人たちは心配しながら通夜に向かった。由雄に花嫁を紹介した仲人・小森義男は、
「自分が花嫁に連絡してくる」と請け負い、それにしても残念だ、と声をつまらせた。
 しかし通夜に花嫁となるはずだった女性は姿を見せなかった。
 それどころか、警察の調査の結果、そのような女性はこの世に存在しないことがわかったのである。
 警察が問いただしてみると、花婿側の親類は、一度もその女性を見たことがないとのことだった。
 ここでこの村の当時の風習を説明すると、この村内には「足入れ婚」という、まずためしに少しいっしょに暮らしてみて、気に入ったら結婚、気に入らなかったら嫁を家に帰す、という前近代的な風習がまだ生き残っていたのである。この場合、花嫁は挙式当日いきなり顔を見せることも珍しくない。それをあたりまえとしていた岡山家や村人たちは、だからなんらの疑いを持ったことがなかったのだった。
 警察は仲人の小森を逮捕した。罪名は詐欺と、殺人である。
 小森は岡山家から紹介料、結納金のほかにも、由雄に恩を着せてちょこちょことたかっていた。一回一回は小金だが、重なればけっこうな金額になる。それでも仲人の機嫌を損じては大変と、由雄は貯金から払いつづけていたようだ。
 その時点で紹介する娘はまだ決まっていなかった。小森はある養鶏農家の4女がまだ独身であることを聞きこんできて、これを由雄に紹介しようと思い立った。「嫁候補を見せる」と言って彼は由雄を誘い、その家の物陰から娘の姿を見た。由雄は一目で気に入ったらしく、ぜひ話をすすめてくれ、と頭を下げた。
 しかしその家では、「農家の跡取りに娘はやれない」とにべもない返答だった。
 だが小森はこれを素直に由雄には告げず、まああれがダメでもそのうち他が見つかるだろうとタカをくくって、話は順調にすすんでいると嘘をつき、由雄から小金をまきあげつづけた。しかし案に相違して、「農家の嫁とり」は困難をきわめたのである。もっとも、小森のほうにそう熱心に探す姿勢があったわけでもないが。
 岡山家としては、是非とも田植え前に挙式を済ませてしまいたいとの思いがあった。仲人はその強い要望に押し切られるかたちで、日取りを決め、花嫁側にも了承をとった、と由雄に連絡した。事態は切羽つまったものになっていた。
 そして挙式前日、もはやこれは土下座して謝るしかない、と決心した小森は由雄を呼び出した。
 結婚の話はなかったことに、と言うと、当然のごとく由雄は血相を変えて怒った。そして話もろくに聞かず、家にひっこんでしまった。
 いったん小森も家に戻ったが、思いわずらったのち、彼は金槌をたずさえ、原付のナンバーをマジックで若干書き換えてから、もう一度由雄を呼び出した。そして人気のない材木置き場で、ふたり丸太に並んで腰かけ、話をはじめた。その時点で由雄は、花嫁側になんらかの事情が生じて破談になったのだと思っていたが、じつは最初から架空の話だったと聞かされ、激怒した。
 小森はひたすら詫びるふりをしながら、由雄の油断した隙を見はからって金槌で頭部を殴打した。彼が絶命しても、殴打はやまなかった。
 完全に由雄が息絶えたのを確認して、小森は帰宅すると、「心配する仲人」の演技をつづけたのである。
 「手口はきわめて悪質、義憤にたえない」として、小森は無期懲役となった。

 


おまけ・海外編

◆ダーラ・スウィンホード

 せまい村でのティーンエイジャーの三角関係が、思わぬ方向に発展することもある。
 ダーラは14歳から、地元では奔放な娘として評判だった。その恋人のジョージも、乱暴者で通っていた。
 ジョージがフロリダに就職するため引っ越してしまうと、ダーラは地元のほかの若者に媚態を示しはじめた。それに運悪くひっかかってしまったのが、ジェイミーという青年だった。ジェイミーの家では、ダーラが評判のよくない娘だということは承知していたし、たぶん彼女はジョージに妬きもちを妬かせるためだけに息子を利用しているのだ、と考え心配した。そしてそれは当たっていた。
 休暇で帰省してきたジョージはふたりの仲を知り激怒した。そしてジェイミーを殺す、と言ったのだが、――ここまでは普通のありふれた話だ――なんとダーラが、その計画に加担すると言い張ったのである。ふたりは嬉々としてジェイミーの殺害計画をたて、実行した。
 どうやらふたりは、お互いの性的遊戯の一環としてジェイミーの心と命を弄んだものらしい。
 ジョージは夜半すぎ、ジェイミーを呼び出し、ダーラに手を出したことを責めた。すぐに口論となり、ジェイミーの反論が激しくなったあたりで、ジョージは散弾銃を取り出し、彼の顔面めがけて撃った。
 裁判を待つ半年ほどの間、ダーラとジョージは何度も手紙を拘置所から交わしあった。その中のダーラの手紙の一文には、「あたしたち、ジェイミーに悪いことしちゃったのかしら?」とあった。事件についての会話はほとんどそれだけで、あとはたわいない睦言ばかりだった。
 ふたりはともに有罪で無期懲役と終身刑を言い渡された。

 


◆ラルフ・ホーク

 元旦の夜のことである。ある一軒の家が放火と思われる不審火によって焼け落ちた。
 焼死者は母親と娘。21歳の長女キャサリンだけは運良く助け出されたが、火傷のほかに何者かに殴打されたと思われる頭部打撲を負っていた。
 知らせを聞いて駆けつけてきた婚約者のラルフを病院に案内したのち、彼の雇用主とすこし雑談をした。雇用主は、「ラルフはキャサリンにぞっこんだ」と請け合い、「彼女に買ってやって婚約指輪の見事だったこと。あれを
見りゃ男の思いのたけがわかるってもんだ」と言った。それを聞いて保安官はふと疑問を持った。救出されたキャサリンの手にたしか、指輪はなかったはずだ、と。
 疑問はすぐに晴れた。病床で意識をとりもどした彼女は保安官に、「指輪より結婚資金を貯めるほうがいいわって言ったんです。だから指輪はもらってないの」と言った。
 保安官は町の宝石店を訪ねた。さすがせまい町のことで、店員はラルフが誰に指輪を買ってやったか、まで知っていた。それは同じく地元の、ベティという娘だった。
 ベティを訪れると、彼女はたしかに豪勢な指輪をしていた。「ラルフ・ホークにもらったものですね?」と訊くと、彼女は顔を赤らめてうなずいた。
 ラルフはふたりの女性と二重婚約したあげく、その清算のため、片方の恋人の家に放火したのだ。キャサリンをを殴打したのは、寝しずまった頃を見はからって放火したのに、彼女が物音に気づいて起き上がってきたからである。
 結局ラルフも焼け死ぬことになった。電気椅子の上でだが。

 


◆デルバート・グリーン

 寒風吹きすさぶ冬の夜、ジェームズ・グリーン宅を訪れる者があった。その男は口もきかず、次々と家族を射殺していった。殺されたのは主夫婦と、それとたまたま亭主と喧嘩して避難してきていた姪とその赤ん坊である。ただし、瀕死の母親の手によって逃がされた幼いローラという娘だけが助かった。銃声を背に彼女は必死になって一番近くの家まで走り、事件を知らせた。
 ローラは警察に、「デルバートさんみたいだった」と証言した。
 デルバートは射殺された姪の亭主である。当初ローラは証言者としては幼すぎると見なされ、信用されなかったが、夫婦の不仲ぶりが明らかになるにつれ、これはたしからしいということになった。
 デルバートは逮捕され、はじめこそ否認していたものの、「女房やあの家族と仲直りするか、もしくは永遠に黙らせるか、どっちかしかないかな、と思ったんだよな」と言った。
「あそこんちの女どもはぎゃあぎゃあ、やかましくていけない。おじさんも俺の肩をもってくれればいいものを、そう
してくれなかったからさ。仕方ないんだ」。
 そうして彼はいったん中古屋へ売り払った銃を買い戻し、グリーン宅を訪れ、一家惨殺をやらかしたのである。
 もちろん彼は死刑になった。

 


変化は人生の薬味というけれどね、
あたしたちアイルランド人は馬鈴薯を作ってればいいのさ。
当たり前のことを規律正しくやってればいいの。
それが幸福というものだよ。
      ――スティーヴン・キング『ミルクマン』より

 

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